Uターンして起業する。大分県竹田市の情報開発研究所は、東京からUターンした工藤英幸代表取締役社長が立ち上げた。東京で修得したシステム開発のノウハウや経験を生かし、生まれ育った地域に貢献するという志をもって起業したものの、厳しい現実が待っていた。高齢化率が全国トップレベルにある竹田市では、個人事業主が大勢を占めるため、システム開発のニーズが極端に少ない。東京の仕事を請け負うにしても、交通の便がよくないことから、何かと難しい。そして、2016年4月の熊本地震。同社の挑戦は続く。(取材・文/畔上文昭)
ウェブ関連がやりやすい
工藤英幸
代表取締役社長
工藤社長が竹田市にUターンしたのは、10年のこと。「東京での生活は、すでに15年になろうとしていた。これを過ぎたら、故郷に戻る機会を失うのではないかと思い、Uターンを決意した」。翌年の4月には、情報開発研究所を設立登記。現在では、ウェブ制作やドローンを活用した映像制作などを手がけている。
工藤社長は当初、システム開発の案件を竹田市の企業を相手に獲得していこうと考えていた。何回かは案件をこなしてみたが、利益を上げるのは難しいと判断した。「見積もり額が100万円となれば大騒ぎになるほど、IT投資には慣れていない。数十万円のレベルでシステムを構築することが求められる」と、工藤社長。それでは利益を出せない。そこで取り組んだのが、地元企業のホームページの制作だ。
「ウェブ関連の案件はやりやすい。ホームページは、会社にとって看板みたいなものだから、必要性が理解しやすい」。情報開発研究所では業務システムの開発を担うノウハウがあるが、地域のニーズを考慮し、ホームページの制作に注力している。
自己負担でシステムを開発
情報開発研究所は、16年4月に最大の危機を迎える。熊本地震だ。
「進行中の仕事はすべてキャンセル。もう会社を閉めようと思うほどの状況だった」と、工藤社長。どうせ辞めるなら社会の役に立ちたいとの考えから、災害復旧システムを自費で開発した。ボランティアと被災世帯の状況などを管理する同システムは、竹田災害ボランティアセンターに提供し、復興を支援。無償で提供したこともあって、多くのメディアに取り上げられた。
せっかく開発した災害復旧システム。開発費用は概算で数百万円になる。工藤社長は、復旧支援の現場での実績があることから、販売を試みた。しかし、「災害はいつ発生するかわからない。だから、災害復旧向けは予算がつきにくい」ため、売れなかった。
復旧作業が落ち着き始めた頃から、ウェブ関連の案件が戻り、会社は無事にもち直した。「震災後は、風評被害を避けるために、以前よりも情報発信に積極的になっている。ドローンを活用した動画制作のニーズも増えた」という。
ただ、地方経済の将来は厳しい。竹田市に限らず、少子高齢化は進んでいく。経済の縮小は不安要素だが、工藤社長は「当社の領域は、市内に競合がいない。人口が減っても、やっていける」と、熊本地震でどん底を味わったことが同社を強くした。
熊本地震で取り組んだ 情報発信活動の記録を出版
情報開発研究所の所在地である大分県竹田市は、熊本県と境が接する地域にある。熊本地震では大きく揺れたものの、目立った被害はなかったという。ところが、観光客が激減するなどの影響を受けることになる。
工藤社長の著書「熊本地震」
(インプレス刊、1200円)
そうしたなかで、工藤社長は地域の情報発信に努め、復興を支援した。本書は、その取り組みの記録である。震災時の対応や情報発信のあり方など、IT業界がなすべき役割を本書から学んでいただきたい。