新しい技術は、既存の業界構造を大きく変えることがある。すでに幅広い業界で変化の動きが生まれており、システム開発の領域でも同様だ。エヌアイエスプラスの入沢厚代表取締役社長は、自動化などの技術がシステム開発に与える影響について「思っている以上に変化のスピードは早い」と分析し、「受託開発はこの2、3年でなくなり、SIerの半分は淘汰されるかもしれない」とみている。(取材・文/齋藤秀平)
Company Data
会社名 エヌアイエスプラス
所在地 東京都文京区
設立 1992年5月
資本金 1000万円
従業員数 約15人
事業概要 企業内システム及びネットワークの設計、開発、運用、コンサルティング
URL:http://www.nisp.co.jp/
中学生でPCを購入し
情報通信の世界へ
入沢 厚
代表取締役社長
入沢社長は、幼少期からコンピュータに興味をもっていた。年齢を重ねても気持ちは変わらず、中学生の頃に初めてPCを購入し、情報通信の世界にのめり込んでいった。
高校を卒業し、進学先として選んだのは、コンピュータが学べる大学だった。しかし、「大学の授業は週1、2回しかなく、つまらなかった」と入沢社長。大学の外でアルバイトをして働き、エンジニアとしての経験を積んだ。
その後は休眠状態だった会社の運営を引き継ぎ、ベンダーから仕事を請け負って客先に出向する「1人派遣」(入沢社長)の形で仕事を続け、旧サン・マイクロシステムズが行っていた研究開発などを進めた。
客先常駐といっても、リーダー的な役割を果たしており、仕事を進めていくうちにベンダーからの誘いもあった。社員として所属していた旧エルゴソフトでは、Macintosh向けの日本語ソフトのUNIX環境への移植を担当した。
当時の状況について、入沢社長は、「プロジェクトごとに仕事が変わっていたので、自分がやりたい仕事をやっていた」と振り返る。ただ、「開発後は保守が中心となり、新たな知識の共有や技術の発展がなくなってしまう」と感じるようになり、20代の時に独立を決意した。
エヌアイエスプラスを設立
「人とのつながりが重要」
入沢社長は、1992年に会社を設立した。社名は、旧サン・マイクロシステムズの情報共有システム「NIS」(ネットワーク・インフォメーション・システム)から取り、エヌアイエスプラスとした。
入沢社長は、「(元サン・マイクロシステムズチーフサイエンティストの)ビル・ジョイ氏が提唱していた『ネットワーク・イズ・コンピュータ』という考え方に共感していた。何でも一つだけではだめ。人間も1人だけでは何もできない。人とのつながりは非常に重要」と社名に込めた思いを説明する。
会社設立後は、国立がんセンター(現・国立がん研究センター)のネットワークの運用保守サポートのほか、日本赤十字社(日赤)向けのシステム構築や、旧サン・マイクロシステムズから研究所の開発を受託した。
日赤の案件では、ドメインを取得してインターネット接続を構築し、各地の血液センターや病院を接続することに成功した。約25年がたった今も、日赤の仕事に関わっており、「骨髄適合検索システム」の構築と運用保守を担っている。
誰でもシステム構築できる時代
世界に通用するゲームの力に注目
入沢社長は、最近のシステム開発を取り巻く状況について「世間でいわれているよりも、自動化やBPM(ビジネスプロセス管理)のソフトウェアが普及している。エクセルと同じような感覚で、誰でもシステム開発ができる時代になってきた」とみる。
そのうえで、「SIerがきて、コンサルティングをして、システムを組んで、費用が数千万円になるような既存の開発の仕組みは、この2、3年でなくなるだろう」と指摘し、「今まではシステムをつくるためにエンジニアがいたが、これからは、システムがある程度出来上がっている前提のSIをやっていかないといけない」とみる。
入沢社長は、「しっかり変化の方向性を見極めないと、取り残されてしまう」と危機感をもっており、生き残りをかけてすでに新たな道を模索している。次世代のシステム開発を実現するために、注目しているのが日本のゲーム業界の力だ。
入沢社長は、「日本のゲームのUIは、世界でトップクラス。まだゲーム業界は気づいていないが、彼らがAPIを使って業務システムを構築するようになれば、今のシステム開発の業界地図はがらりと変わるはずだ」と期待を寄せる。