北海道を襲った震度7の地震。あたふたと乾電池、ラジオ、水、ガスコンロなどを求めて多くの人が殺到する光景を見て思うのは、災害列島を自覚していても、なかなか意識を変えるのは難しい点だ。そして困ったことに、個人だけでなく企業も政府も変わっていない。
北海道電力は、3.11の東日本大震災を体験しながら、なぜ苫東厚真火力発電所に過半の電力を依存する体制を続けていたのか。地震は仕方がないとしても、ブラックアウトや長期的な電力不足は防げたのではないか。これは、台風21号で閉鎖に追い込まれた関西国際空港のケースも同様である。強風や高潮で第一ターミナルの閉鎖は仕方がないとしても、タンカーがきちんと大阪港などに停泊していたら関空連絡橋が破損することはなく、8000人が孤立することも、長期にわたり関空への道路と鉄道が止まることもなかった。
しかしながら、これらには理由がある。北電は苫東厚真発電所のウエイトが大きければ大きいほど発電料金を低く設定できた。一方、タンカーはきちんと港の桟橋に係留すると高額な宿泊料がかかる。この合理性を否定できなかったのだ。
東京電力の福島第一原子力発電所の事故もそうである。地震による大規模な津波を予測し、担当者は電源を上部に配置し直す工事を業者に依頼、その業者は見積もりまで出していたが、上層部の「もう少し待とう」の声に押された。
これは、個人でいえば数万円の人間ドックに行くかどうかに良く似ている。「俺は丈夫だ、病気などならない」と思っていると、どうしてもその時間と数万円の費用がもったいなく思えてくる。
実際に事故が起きると、こうした経費は微々たるものである。おそらく、癌の早期発見が遅れた人も、関空のタンカー会社も、東電も、どうしてこの程度の金額を節約したのだろうと思っているはずである。
「リスク管理学」とは、つまるところ「後悔先に立たず学」である。今年はリーマンショックから10年を迎える。関係者のいろいろな回想録が出ているが、共通していえるのは、こんなに世界経済を奈落の底に突き落とすようなことにはならない、と甘く考えていたことである。
目先の合理性に目を奪われ、万に一つという可能性を見過ごすのが人間の性である。
アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴

増田 辰弘(ますだ たつひろ)
1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。2001年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。