ようやく、というべきだろう。日本マイクロソフトの社長が発表された。10月1日付で就任した吉田仁志新社長は9月30日まで日本ヒューレット・パッカード(HPE)の社長を務めていたため、9月中に発表できなかった事情は理解できる。それでも、拭えないモヤモヤはある。日本マイクロソフトの社長がまるまる1カ月不在でも、同社の事業は滞りなく動いていたように見えてしまう。
6月末が期末のマイクロソフトは、例年、日本法人の経営方針・戦略を8月頃に発表する。しかし今年は7月初旬に平野拓也前社長の退任と米本社への栄転が発表されており、日本マイクロソフトの新年度の経営方針は新社長の御披露目と合わせて行われるものと期待してしまった。
ところが、8月20日に開かれた新年度経営方針発表会では、1週間後に退任を控えた平野前社長がメインスピーカーとして新年度の施策を説明するという事態になった。新社長がまずは他人が敷いたレールに乗っかって当面の舵取りをするしかないのだろうということは想像できた。
吉田新社長が10月2日の就任記者会見で強調したのは、従来の平野体制への賛辞と、これまでの経営方針の継続性を重視するという考え方だった。近年、平野体制下の日本マイクロソフトが順調に成長してきたことを考えれば、自然なことではあろう。
そして、「最終的には“人”が企業の成長の基盤となる。自分のカラーはおいおい自然と出てくるものだとは思っているが、いかに社員のやる気を上げて、企業としての底力を高められるかがさらなる成長のキーになる」とも語った。やはり、より具体的なビジネス戦略に吉田色が滲んでくるのは、少し先のことになるのだろう。
マイクロソフトの内部人材ではなく外部人材の吉田新社長に日本マイクロソフトのトップを託した理由について、マイクロソフト アジアのラルフ・ハウプター プレジデントは「パートナーの立場でマイクロソフトのビジネスに深くかかわった経験があり、顧客の成功を支援するためのパートナーエコシステムを強化してくれることを期待する」と語った。就任会見で吉田新社長が思わず「マイクロソフトさん」と口走ってしまったのはご愛嬌だが、吉田新社長ならではの成果をどのタイミングで見せてくれるのか、期待を寄せているのはマイクロソフトの社内だけではない。
週刊BCN 編集長 本多 和幸
略歴

本多 和幸(ほんだ かずゆき)
1979年6月生まれ。山形県酒田市出身。2003年、早稲田大学第一文学部文学科中国文学専修卒業。同年、水インフラの専門紙である水道産業新聞社に入社。中央官庁担当記者、産業界担当キャップなどを経て、2013年、BCNに。業務アプリケーション領域を中心に担当。18年1月より現職。