旅-経営者の目線-

<旅-経営者の目線->99.南オセアニアの旅-(2)パラオ共和国1

2005/05/16 15:27

週刊BCN 2005年05月16日vol.1088掲載

 パラオは日本の南3000キロ、ミクロネシア地域の最西端に位置する独立共和国で、大小300の陸島や隆起珊瑚礁の島々からなる。徳島県とほぼ同じ面積で、2万人が8つの島に住んでいる。終戦までの31年間は日本の委任統治領であり、コロール島に南洋庁が置かれていた。年間平均気温27度、降雨量は3700ミリ(東京1500ミリ)の高温多湿地域である。

 限りなく透明なコバルトブルーの海、そこに色鮮やかな熱帯樹が繁茂する石灰岩の島々が点在している。その美しい景観は正に「南洋松島」の名に恥じない。年間7万人の観光客のうち、日本からはダイバー客など2万4000人が訪れている。1月23日15時、船はコロール島の沖合に停泊した。

 ペリリュー島。この島は現在住民700人で、ダイビングのメッカになっている。われわれ同行9人は24日9時、モーターボートでペリリュー島に向った。左右に点在する美しい島々の間を時速70キロの猛スピードで飛ぶように走ること1時間、同島ノースドックに着いた。

 ここは近くのアンガウル島とともに、私の郷土部隊、宇都宮第14師団の将兵1万2000人が米軍4万人と勇戦奮闘して玉砕した島である。戦時中、両島の島民をバベルダオブ島に強制移住させ、島内縦横に地下壕を掘って要塞化した。米軍は3日間の猛烈な艦砲射撃を行った後、1944年9月15日朝8時半の満潮時に西海岸に上陸した。日本軍の猛反撃で1700人が戦死し、米軍の血でオレンジ色に染まったという。その後この浜はレッドビーチと名付けられた。制空権、制海権のない孤立無援のなかで頑強に戦い、遂に11月24日、中川大佐が自決し、玉砕した。その後も一部の将兵34名は本隊の玉砕を知らずに1947年4月22日迄ゲリラ戦を続けた。
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