【大阪発】「自分の人生、いい人生だった」。──高基秀(コウ・ギス)さん、71歳。5月22日午後9時3分、肺炎のため大阪の地で人生の幕を引く。皆さんに感謝しながら、最期の言葉を笑いながら残したという。人それぞれの笑い人相がある。その時の高さんを瞼に思い描くことはたやすい。「高さん、あまりにも格好が良すぎませんか」。その返事もたぶん、「ニシャー」とした笑顔だろう。高さんは1934年、済州島の生まれ。51年に来日、早稲田大学文学部独文科卒、いったん帰国。再来日して2つの会社を起業する。65年に岩木電気工事を、79年に高電社を創業する。IT業界にとっては日韓翻訳ソフトの高電社で有名だ。

▼人に歴史あり。6月22日の社葬には多くの人々が集まった。一輪の花を捧げてお別れをした。高さんの事務所を訪ねると、応接机にいつも白い花が飾ってあった。今はきっと社長の机の上を飾っていることだろう。会葬の御礼の中に冊子があった。『愛と信念の人、故高基秀儀、全力疾走の軌跡』だ。2つの原稿が収録されている。ひとつは高さんの講演録。2004年11月27日、日本社会情報学会主催のシンポジウムの講演だ。「異文化の混合から融合、そして新たな文化の創造へ」が題目だ。読み始める。最初の行から釘付けになる。

▼「私は常々、自分自身を異文化の落とし子と思っている。その理由は私の略歴の中にあるので、少しだけ生い立ちについて話したい」。年譜に目を通す。12歳、日本敗れる。韓国は日本植民地から解放。14歳、済州島4.3事件。16歳、朝戦動乱勃発。10メートルのイカ釣り舟に20人が乗り合わせて日本へ密航。歴史の濁流に巻き込まれる人たちの姿が浮かぶ。「歴史の流れに翻弄され異文化との戦いを余儀なくされたのは私一人の特有な事例ではない」と言い切る。日本に来て間もない夜のこと。無灯火で自転車に乗っていた。警官に職務質問された。あまりの恐怖に、「アーアー」としか声も出ず、狼狽するばかり。「行きなさい」と放免してくれた。「かわいそうだと思ったんでしょうね」と回想する。この瞬間の出来事があの深い微笑みと、意思を伝達する言語翻訳開発の考えを固めたのではないか。嗚呼、人の歴史には、窺い知れぬ重みがある。(BCN社長・奥田喜久男)