【本郷発】鳴戸さんが亡くなった。元富士通副会長の鳴戸道郎さんだ。いつお会いしても、凛とした発言に清涼感を覚えた。ある時、そんな内容のことを申し上げた。すると、切り返しがふるっていた。「そうよぉー。この言い方が災いしたんだよぉー。だから、俺は嫌われたんだ」。そこで皮肉っぽい表情で、ニヤリと微笑む。これが鳴戸節の真骨頂だ。

▼半分はそうかもしれない。どんな質問をしても、自分の得意分野に引き込んで、理屈から解きほぐす。ここで大概の人の評価が割れるのではないか。私は話を聞く立場の職業だから、実に都合がいい。WebBCNサイトで連載中の「千人回峰」の取材の際のことだ。私がインタビューをして、専属ライターの小林茂樹さんが原稿を書き起こす分業方式だ。取材日は2008年10月17日、富士通の役員応接室だった。インタビューの前には必ず取材クルー(私、ライター、まとめ役)の三人で打ち合わせをする。「今日はどんな話になりますか」「話の流れに任せておいて、大丈夫。鳴戸さんの話は理路整然としているからね」。インタビューが終わり、取材クルーは「確かにその通りだった」と頷いた。懐かしい思い出だ。

▼人はいつか死ぬ。2007年1月17日、青空文庫を主宰する富田倫生さんに、「千人回峰」の取材で会った。もうその時、だいぶ弱っておられた。若い時に肝炎を患い、体力が減退して仕事を減らさざるを得なかった。インターネットのデジタル化を文明の時間軸でとらえ、書籍のデジタル化を個人の力で取り組んだ青空文庫の運営に、残された命の炎を捧げた。ある日、電話で話した。「もう身体が最悪の状態なんですよ。外国の病院で手術を受けてきます。生きて帰ってこれたら会いましょう」。それから後、時々思い出しては「あっちへ行っちゃったのかなぁ」。先週、やっと富田さんに会えた。元気に生還した。「月並みなんだけど、生かされているんです。本当にそう思えるんです」。先に旅立った鳴戸さんと次に会ったら、命について質問をしてみよう。(BCN社長・奥田喜久男)