旅の蜃気楼

ふるさとは遠きにありて思ふもの

2009/08/10 15:38

週刊BCN 2009年08月10日vol.1296掲載

【岐阜発】「国に帰る」という言葉がある。“国”とは、生まれ故郷であったり、育った土地であったり、思い出に残る土地という意味で使っている。

▼私は岐阜が“国”です。鵜飼の長良川河畔が思い出の場所なんです。子どもの頃の夏は毎日、この川で泳ぎ、上流の「納涼台」と呼んでいた場所から長良橋までを、流れに乗って泳ぎ下っていた。身体が冷えて疲れると、太陽の熱を浴びて火傷するほどに焼けた川原の石の上に寝そべって、一呼吸入れる。この石はほんとに熱い。他愛のないことほど、よく覚えているものだ。

▼長良川では花火大会が開かれる。昔は三つの主催があった。繊維の問屋街、岐阜新聞、中日新聞だ。今は新聞社主催だけだ。繊維の街はどの土地も落ちぶれ果てている。岐阜は駅前に問屋街のアーケードが残っている。その風景は1967年3月に岐阜を離れた時のままだ。岐阜を出る時、どこかの問屋で洋服を買ってもらった記憶がある。当時より老朽化しているから、問屋街の一角はゴーストタウンのようになっている。国に帰るたびに、何とかならないものかと思って、40年が過ぎた。

▼どの地方へ行っても駅前商店街は寂れている。それが当たり前になっているようにも思う。だが、少しずつ変化の兆しがみえる。まず、岐阜駅前のロータリーが整備された。問屋街は昔のままだが、そこから柳ヶ瀬につながる細い道路の両側に、ちょっと寄ってみたくなる小奇麗な雰囲気のカフェやブティック、パブ、焼き鳥屋、居酒屋がずらりと新規オープンしている。この通りは金(こがね)神社の前を通っている。以前、国に帰ったおり、神社に寄りがてらこの細い道を歩いた。その時に、新しい潮流を感じた。若い人たちが動き始めたのだ。ちょっと寄ってみたくなる新しい街筋は“おしゃれ通り”という名前で呼ぶ人たちが現れた。魚はきれいな川に棲む。人は居心地のいいところに集まる。生まれた川に帰る鮭のように、“国”の匂いは身体が覚えている。(BCN社長・奥田喜久男)
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