旅の蜃気楼

NECの技術が世界に認められた日

2010/08/19 15:38

週刊BCN 2010年08月09日vol.1345掲載

【根津発】最近、早起きになった。若い頃は目覚まし時計を兼ねたラジオで目が覚めていた。しかし、最近は目が覚めてからラジオのスイッチを入れる。機械と人間の役割が逆転してきた。偉大な成果だ、と自分的には自慢げな気分がしている。8月2日の早朝も、起きてからラジオの電源をオンにした。

▼朝のニュースが流れてきた。山の遭難とヘリコプター事故だ。山は危険だから気をつけよう、と自分を戒める。そのなかに混じって「小惑星のサンプルを持ち帰った探査機『はやぶさ』のエンジンを開発したNECはアメリカの企業と組んで世界に向けて販売する」というアナウンスが聞こえてきた。とてもいいニュースだ。日本の技術者集団が勇気をもらうニュースだ。このところ、日本の技術者の方々に押しなべて元気がない。品質の追求が製造のコスト高を生み、製品の売価を高め、需要を減退させるという見方がある。たしかに日本製品の敗因の一つだ。しかし、品質の追求は科学の究明の本質に通じはしないか。NECでよく会話した役員に水野幸男さん(故人)がおられた。ある昼食会の時だった。「奥田さん、学問とは何だと思いますか」。座った位置も正面。質問も正面からだ。たじろいで降参した。「本質の追求ですよ」。学問が基礎にあって、事業が生まれるんです、と言いたげだった。さらに追い打ちをかけるように、「いかに本質の追求が事業の明日を左右するか、それがとても重要なんです」と。なぜこんな話になったのか記憶にない。しかし怖い水野さんだったことは鮮明に覚えている。

▼話を「はやぶさ」に戻そう。実はほとんど知識がない。そこで、ググッてみた。2003年5月9日に打ち上げ。地球から太陽までの距離の2倍の彼方に向けて旅立った。そこに小惑星「イトカワ」がある。太陽の誕生を探るのが目的だ。05年11月26日、イトカワにタッチダウン。帰途に音信が途絶えたが、7週間後に再び交信することができた。10年6月13日、大気圏に突入。ついにオーストラリア・ウーメラ砂漠に着地した。この7年の旅の間にNECの社長は12代から14代に進んだ。岩垂邦彦氏が日本電気を創業したのは1899(明治32)年のことである。「はやぶさ」の7年間の旅は価値がある。その価値は、NECが111年の歳月をかけて追求してきた技術基盤と企業風土に支えられているはずだ。NASAからNECに贈られた言葉がある。「Outstanding Job!(突出した成果だね)」。なんとも誇らしいではないか。(BCN社長・奥田喜久男)
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