1896(明治29)年、岡山県に生まれた土光敏夫は、石川島播磨重工業(現IHI)や東芝を率い、戦前・戦後を企業人・財界人として生きた。その名を今日まで語り継がれるものにしたのは、経団連会長を退いた翌年の1981(昭和56)年、84歳にして会長に担ぎ出された第二次臨時行政調査会(第二臨調)だったように思う。高度成長時代が終わりを迎え、経済がよどみ始めた時期、国民の土光臨調に対する期待はそれほど大きかった。本書は、晩年、国鉄解体をはじめとする行財政改革に精魂を傾けた土光の生涯を、ある意味で第二臨調が生んだ今の世に描き出す。

 優秀なエンジニアであった土光は、優秀な営業マンでもあった。経営者になってからもそれは変わらず、石川島の社長時代は同業者から「辻切り強盗」「ダボハゼ経営者」と呼ばれていた。徹底した合理主義と仕事のスピードは財界人になってからも変わらず、1974年に経団連会長に就任すると、「行動する経団連」を掲げて組織を改革すると同時に、中国やソ連との経済外交に乗り出す。

 こうした断固たる信念にもとづいた行動力は、母・登美の薫陶によるところが大きい。熱心な法華経の信者であった登美は、71歳のときに自ら奔走して女学校を創立してしまうバイタリティに富んだ人物だった。

 土光の生涯を振り返るには、その時代、その時代の社会をきちんと書き込まねば意味がない。著者はその要請に応え、第二臨調の裏にあったどろどろした政治の動きも含めて丹念に追いかける。東日本大震災後の日本を考えるために、大きな価値をもつ一冊だ。(叢虎)


『気骨 経営者 土光敏夫の闘い』
山岡淳一郎 著
平凡社 刊(1800円+税)