なぜ弔うのか
年明け、親族の訃報に接し、葬儀に駆けつけた。火葬は通夜の前日だった。火葬→通夜→告別式の順である。これは位牌などを祭壇にまつる「骨葬」と言い、東北地方などでの習俗だそうだ。
東北を襲った2011年の東日本大震災での葬送を巡る出来事を筆者は振り返る。犠牲が相次いだことで葬儀が追いつかず、棺を一時的に土に埋める「仮埋葬」が行われた。損傷が激しい遺体を震災前に近い姿に戻す復元納棺師の存在が注目された。何より、死に向き合ったからこそ、住民の弔いへの思いは深くなったとする。
本書では震災をはじめコロナ禍、無縁を色濃くする社会における葬送の変容を解説するほか、商売としての葬儀業の覇権争いを描く。葬儀ビジネスと言えば聞こえは悪いが、人の尊厳を守り、残された人たちの縁をつなぎ止めるための営みにほかならない。「人はなぜ弔うのか」という本質的な問いを忘れない限り、それは金銭的価値を越えた意味を持ち続けるだろう。
先日の葬儀では、初めて聞くエピソードに触れ、知らなかった故人の姿が浮かび上がった。なぜ弔うのか、と問われれば、それは故人のためという以上に、残された私たちが前を向くためなのだと答えたい。(潤)
『火葬秘史 骨になるまで』
伊藤博敏 著
小学館 刊 1980円(税込)