富士通が9月25日に発表した突然のトップ交代。病気療養でわずか1年3か月という短期間でトップを退くことになった野副州旦前社長に代わり、間塚道義代表取締役会長が社長を兼務することになった。同日開催した記者会見で間塚氏は、「しかるべきタイミングで新たな社長を選ぶことになるだろう」と“暫定社長”であることを匂わせた。
間塚新社長、“暫定”の色濃く
9月25日。この日は富士通の経営幹部にとってドタバタの日だったに違いない。なぜなら、今回のトップ交代話はこの日に持ち上がり、即日の決断・発表だったからだ。年商5兆円を超えた実績もあるグローバルカンパニーが、わずか1日でトップの交代を決めなければならない緊急事態だったのだ。
経緯はこうだ。9月25日は9月度の富士通定例取締役会の開催日。その前に間塚氏と野副氏が面談し、「病気の治療に専念したいので社長を辞任したいという意向を聞いた」(間塚氏)。その時点では野副氏から間塚氏への社長就任の打診はなかったが、間塚氏が議長を務める取締役会で間塚氏の就任を決定。正午過ぎに報道発表、19時から本社で緊急記者会見、というてん末だ。9月の大型連休前、間塚氏は野副氏と中堅企業市場向け事業について議論したが、「その場では、今回の話はまったくなかった」という。

間塚道義会長兼社長。就任日当日に開いた記者会見では、終始表情が厳しかった
急きょ社長を兼務することになった間塚氏。今後の経営方針について「緊急事態の影響を最小限にとどめる。(今年7月に発表した)中期経営計画は、みんなで決めたこと。その計画や野副さんが定めた方針を変えるつもりはない」と強調。野副氏の考えを引き継ぐ意思を表明した。
しかしその直後、こんなコメントも口にした。「“当面の間”社長を兼務する。緊急事態を乗り越え、しかるべきタイミングで後任社長を選びたい」。その時期や後任の人物像について明言は避けたが、自身のトップ就任は緊急措置であることを印象づけた。
「スピードと整理整頓の男」(富士通子会社社長)と評される野副氏は、就任直後から事業の選択と集中を進め、不採算事業を矢継ぎ早に縮小させてきた。富士通・シーメンスコンピュータズ(FSC)の完全子会社化や中堅市場向けビジネス体制の変更、SEの最適配置などの大胆な組織再編は、野副氏が陣頭指揮を執った施策。挑戦的な目標をぶち上げる強気な姿勢も持ち味で、中期経営計画最終年度で過去最高益を出し、IAサーバーは世界で50万台を売るという目標も野副氏によるもの。
富士通は野副体制でかなり変わった。たとえ「みんなで決めたこと」だとしても、それを指揮した人物が去った影響は大きい。暫定社長体制が続くようであれば、その間、富士通の経営体制は落ち着かない公算が大きい。(木村剛士)
■間塚道義会長兼社長の主な経歴1943年10月17日生まれ、65歳。68年4月に富士通ファコム入社後、71年に富士通転籍。01年に取締役、03年に経営執行役常務、05年に取締役専務、06年に代表取締役副社長を歴任。08年6月から代表取締役会長を務め、今年9月25日、社長兼任に。性格については、「努力積み上げ型」と自己評価している。