大塚商会(大塚裕司社長)は社会貢献活動の一環として、9月9~11日、宮城県石巻市の牡鹿半島で復興ボランティア活動を行った。同社の東京本社と仙台支社の社員が一丸となって、集落が壊滅状態の鮫浦地区で、ゴミの収拾や瓦礫の片づけなどの作業を行った。執行役員の安達美雄社会貢献担当は、「被災地でのボランティア活動の継続を検討していく」考えを示している。現地に同行して、この目で見た様子をレポートする。(取材・文/ゼンフ ミシャ)
仙台市からバスで約1時間半の牡鹿半島は、東日本大震災発生直後から数回にわたって押し寄せた大津波による被害がとくに大きかった地域だ。震災発生からおよそ半年が経った今でも、崩壊した住宅や倒木が目立ち、各地区は復興がまだ始まったばかりの状況にある。大塚商会の社員が復興ボランティア活動を行った鮫浦地区は大津波が5回も襲来。津波とともに流されてきた大量の土砂が道路や住宅を埋めてしまい、集落は壊滅状態だ。
日よけの帽子や軍手は必須
9月10日(土曜日)の朝、大塚商会の約130人のメンバーが、ボランティアセンターとして利用されている石巻市牡鹿公民館に集合した。センターのスタッフから説明を受けて、活動にあたっての注意事項が説明される。牡鹿半島はいまだに強い余震が続いており、再び津波が発生する危険性が高い。メンバーは、万が一に備えて、グループを組んで慎重に動き、リーダーの指示に従わなければならないと、スタッフは念を押す。牡鹿公民館は、津波によって1階が浸水した。天井の内装が落ちて、今もカビの臭いが漂っている。
ボランティアセンターの前で、メンバーは大塚商会が用意した長靴や防塵マスク、タオル、お茶のペットボトルなどを受け取り、バスに乗って現地に向かう。
鮫浦地区に到着したのはお昼前。気温は30℃を超えている。全滅状態の集落には、家や樹木など日陰となるものは一つもない。まるで、灰色の砂で覆われた砂漠のような風景だ。メンバーは、ほぼ20人構成のグループに分かれて、各グループリーダーの下でゴミの収拾や瓦礫の片づけといった作業に着手する。仮設道路の脇には、数台の大型バスが並んでいる。鮫浦地区には、大塚商会以外にも企業や個人のボランティアグループが来ており、日よけの帽子をかぶって軍手をはめた数百人のボランティアが復興活動に励んでいる。

ゴミの山を積み上げる

ボランティアセンターをいざ出発
チームで力を発揮
冷蔵庫や本棚、靴や鏡──。震災前にここで暮らしてきた人々の生活を物語る物が、今はゴミの山を形成している。大きくて重い物は、大塚商会のメンバーが力を合わせて数人で運び、積み上げる。土砂から半分はみ出している物は、スコップを使って掘り出す。メンバーたちは効率よく行動して、汗をかきながら、着実に復興作業を進めていく。大塚商会仙台支店の木村和喜支店長は、「仙台支店は、ほぼ全員が参加している。新人からベテラン社員まで、皆が一体になって、チームとして結束力を高めている」と語る。
現地に着いてからおよそ5時間で、その日のボランティア活動が終了。メンバーはボランティアセンターの前で集合写真を撮影し、仙台の自宅や松島の宿に戻る。翌日は、東京からのメンバーは、地元の経済を刺激するために、塩釜仲卸市場で買い物ボランティアを実施した。
木村支店長は、「仙台の社員は、震災直後からボランティア活動をしている者が多い。今回は、東京の社員に被災地に来てもらって、自分の目で被害の大きさを見てもらったことに、ボランティア活動の大きな意義があった」と振り返る。安達社会貢献担当は、「被災地はまだまだ被害が大きいので、今後も、ボランティア活動を継続していくことを検討する」としている。

チームに分かれて作業に着手

全力で活動に励む