中国最大の商業都市・上海には、知られざる顔がある。日系ITベンダーがほとんど進出していない技術開発区、楊浦科技園区がそれだ。楊浦区は上海市旧来の中心城区で、ビジネス、生活、交通の面で利便性が高く、上海市区のなかでも最大の面積・人口を誇る。楊浦科技園区は、人件費を抑えるためのオフショア開発というよりも、中国での本拠の位置づけで、R&D(研究・開発)や販売拠点として活用する企業が大部分を占めている。現地取材をもとに、その特色を探る。(取材・文/真鍋武)
【楊浦区の特徴】
日系ITベンダーはほとんど未進出 企業数は年間1000社ペースで拡大
●三つの「100年文化」をもつ楊浦区
楊浦区は、上海市の中心城区の東北部に位置しており、面積は60.6km2、常住人口は約128万人と、上海市の中心城区では最大規模の区となっている。区の特徴は、大学・工業・市政の三つの文化が、100年の歴史をもっていることだ。
大学は、上海随一の名門大学である復旦大学や、同済大学、上海理工大学など、100年の歴史をもつ学校が複数ある。工業については、楊浦区は中国の近代工業の発祥地として、上海市で最初の発電・水道・織物・造紙の工場ができたことで知られている。1970~80年代、楊浦区には約60万人が工業関係に従事し、上海市の工業総生産高の25%を産出していた。市政については、1920年代に、孫文の「建国方略」をもとに楊浦区の五角広場地区に上海市政府の拠点が建設され、1927年には上海市政府が立てた「大上海計画」をもとに、道路など公共のインフラ環境の整備が進められてきた。市政府時代につくられたビルは現存しており、現在も使用されているものもある。
●中小企業が9割を占める科技園区

上海市楊浦区
科技園区管理辧公室
叶旺根
常務副主任
技術開発区としての楊浦区は、1996年に上海五交角場高新技術産業園が設立されたことに端を発する。その後、政府と区域内の大学、研究機関、大手企業が共同で15の科技園を設立し、現在の楊浦科技園区が形成された。今年8月時点で、全体で約9000社が入居している。上海市楊浦区科技園区管理辧公室の叶旺根常務副主任によると、「入居企業の95%が、従業員数200人以下、売上高5000万元以下の中小企業」だという。企業数は、毎年1000社のペースで拡大している。他の開発区と異なり、外資系の企業は、生産工場などの大規模な拠点というよりは、中国内での本拠として位置づけていて、R&D(研究・開発)や販売拠点として活用する企業が大部分を占めている。内陸部や地方の沿岸部と比べて、上海は人件費が高いので、生産拠点には向いていないが、腰を据えて中国市場に特化した製品を研究・開発するためには最適な環境ということが影響している。
現在、楊浦科技園区には、日系ITベンダーは、ほとんど進出していない。政府関係者によると、「楊浦科技園区は、これまで日系ITベンダーを誘致するための情報をあまり提供してこなかったことが要因」のようだ。その一方で、欧米の外資系IT企業は、楊浦区の大学や研究機関と共同研究を重ねてきた経緯があって、進出している企業は多い。
●影響力が大きい教育機関

同済大学
杜慶峰
教授
楊浦科技園区の特徴は、大学や研究機関との結びつきが深いことだ。前述の通り、楊浦区は100年の歴史を誇る大学文化をもっており、現在は、復旦大学や同済大学など、区内におよそ10の大学と100の研究機関が所在している。全日制の大学生は上海市全体の30%、修士課程の学生は40%を占めており、楊浦区は「知識楊浦」と称される。このような事情から、大学に依存している科技園は多い。復旦大学の国家大学科技園、同済大学の国家大学科技園、上海理工大学の国家大学科技園と、国家級の大学科技園が7か所も軒を連ねている。
大学と科技園区との共同研究も盛んだ。同済大学でソフトウェア開発の工程管理について研究している杜慶峰教授は、「当大学と科技園区との連携は密接だ。大学で研究した内容を、科技園区の入居企業と連携して、産業化するようにしている。そして、産業化で得た成果に対してさらに研究を重ね、産業の革新を図るサイクルを回している」と説明する。
中国の内陸部などの地方では、大学と科技園区が長期的なパートナーシップを結んで、共同で研究をするというケースは、まだあまりないのが実情だ。しかし、同済大学は、科技園区との関係強化に熱心に取り組んでいる。杜教授は、「今後は、産学連携のモデルとして、楊浦科技園区の『クラウド創新基地』のなかに、クラウドソフトウェアをテスティングするためのプラットフォームと、大学の研究内容や成果を科技園区の入居企業がリアルタイムに把握することができる情報プラットフォームを構築していく計画だ」と意欲をみせている。
また、学生が科技園区で起業するための支援が充実している。例えば、楊浦区にある上海市の「大学生科技創業基金会」では、資金だけでなく、起業するためのノウハウの修得や、研修を受けることができる。楊浦区が設立して、地方政府の主導で管理している唯一の機関、「中国青年創業国際計画(YBC)」でも、起業に必要なサポートを提供している。
楊浦区は、海外に留学して高度な知識・技術を身につけた人材が、帰国後に起業する際の支援も行っており、留学生が帰国後に起業した企業数は、約350社に達している。
日系ITベンダーにとってのメリット
●中小企業が融資を受けやすい
では、日系ITベンダーが、楊浦科技園区に拠点を設けるメリットは何だろうか。上海市内なので、他の沿岸部や内陸部の都市に拠点を構えるよりも地理的条件に恵まれているということはある。それよりも大きいメリットは、会社を起こすための支援を受けて事業を開始できることだ。政府は、学生だけでなく、中小企業に対しても支援している。今、中小企業が何に困っていて、その問題を解決するためにどのようなことをすればいいのか、という課題を解決するために、研究・開発、創業、投資、融資、法律、知的財産、人材リソースなど、中小企業が起業して運営していくなかで必要な一連のサービスを総合的に提供している。「例えば、中小企業が融資を受けようとするときに、会社としての実績がなければ、金融機関はなかなか融資してくれない。その点、中小企業が金融機関とうまくやり取りできるよう、科技園区が場づくりをすることで、融資が受けやすくなる。実際に、科技園区の支援が一助となって、中小企業が資金を得て、結果として会社が成長し、上場まですることができたという事例が複数ある」(叶常務副主任)。
また、単純にR&D拠点として活動している企業が多いので、最先端の技術に身近に触れることができ、触発されやすい環境でもある。大手企業よりもベンチャー企業が多いので、協業のチャンスも多いともいえるだろう。
●優秀な人材の採用でも有利
科技園区に入居している企業にとっては、大学や研究機関が近くにあることで、人材の採用面で有利になるというメリットもある。学生が卒業した後には、就職、もしくは起業するという選択肢があるが、楊浦科技園区では、起業する学生に対して手厚い支援を施しているだけでなく、就職イベントを開催して、入居企業と学生とのマッチングを図る機会を設けている。
楊浦区は、学生が上海市のなかでも多い地域で、それも復旦大学や同済大学などの優秀な学生が多い。このことは企業にとって大きなメリットといえる。
楊浦科技園区のなかでも、とくにIT企業の進出が顕著なのが、「創智天地」と「復旦軟件園」だ。以下、両方の開発区を紹介しよう。
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