1990年9月、ヴァル研究所が開発した“知る人ぞ知る”国産ソフトウェアが産声を上げた。97年に55歳の若さで亡くなった同社創業者の島村隆雄社長(当時)の指揮のもとで開発したソフト「ファラオ」だ。DOSが主流の時代には画期的だった。このソフトを使った開発で相互に技術交流する「ぱぴろじすと」という組織が同年に発足している。ファラオは、Windowsの登場でビジネスの表舞台から姿を消す。だが、「ぱぴろじすと」の研修会・研究会は毎年のように続いている。その組織で専務理事を務めた富岡建氏が3月1日逝去した。故人を偲び、ヴァル研究所の太田信夫・現社長と、当時を振り返った。(取材・文/谷畑 良胤)

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「ぱぴろじすと」の普及・啓発に尽力した在りし日の富岡 建氏

島村イズムの「ファラオ」
EUCを世に広める

 ヴァル研究所の沿革によると、「ファラオ」は90年9月に「パソコンとホストが優しく握手」をキャッチコピーに発売されたデータ処理ソフト、と記されている。太田社長によれば「DOS全盛の時代に開発された統合型リレーショナル・データベースであり、開発ツールだ」と、ファラオを説明する。比較対象が、マジックソフトウェアのアプリケーション開発フレームワーク「dbMagic」や、管理工学研究所のデータベースシステム「桐」などといえば察しはつくだろう。

 経路検索システム「駅すぱあと」がビジネスの主軸である同社が、創業時にこのようなソフトを出していたことを知る人は少ないだろう。実は、ファラオを発売する前の84年には、16ビットパソコン用のデータ処理ソフトとして「ぱぴるす」を出している。

 ファラオをコアとしてアプリケーション開発をするための技術交流組織「ぱぴろじすと」の名称は、当時、受託ソフト会社「ロードス」(10年ほど前に廃業)社長の富岡建氏が、初期型「ぱぴるす」にちなんで命名した。「ファラオの中核的な開発思想とでもいうべき『エンド・ユーザー・コンピューティング(EUC)』を世に広める者という意味を込めた造語」と、太田社長は思い起こす。
 
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「ぱぴろじすと」の思い出を語るヴァル研究所の太田信夫社長

 EUCとは、企業の従業員が自らソフトの開発・構築に携わる考え方だ。ぱぴろじすとのメンバーに、一般企業の関係者が多く集まったことからも、「国産ソフトを主軸として、ユーザー部門が技術研究をする集団として異色だった」(太田社長)と語る。いまでは国産、外資系のIT製品を取り巻くユーザー集団は、数多く組織されている。ぱぴろじすとは当時、dbMagicやIBMが買収したLotus Notesの認定制度を多分に意識して組織されたようだ。

 ヴァル研究所は、ファラオを出した翌年の91年9月に市販ソフト「ナイル」の名称で、本格的な販売を開始した。入社数年目の太田社長は、パソコンショップや家電店の売り場に立ち、ナイルを販促していた。しかし、「1本5万円で販売していたが、思うように売れず苦労した。販売先に対する開発支援やサポートのリソースが賄えなくなったことや、Windows95の登場で、ナイルのビジネスは終息に向かった」(太田社長)と振り返る。

昨年、ぱぴろじすと25周年同窓会

 ぱぴろじすとの会員は、全盛期で60社以上に達した。太田社長の手元に残っていた「ファラオ アプリケーションカタログ」(90年発刊)という冊子(写真参照)がある。ファラオのVAR(Value Added Reseller)会社がファラオを使って開発したユーザー企業にマッチした市販ソフトを集めたものだ。
 
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「ファラオ」を使って開発したアプリが100種類以上収まっている

 このなかに収められているのは、給与計算や顧客管理、小売り・卸、製造・工場、ホテル旅館、金融、不動産、運送など、100種類の多岐にわたる業種業態向けのアプリだ。例えば、井上製材という会社が開発した「出勤簿連動給与計算システム」(価格10万円)は、出勤簿の入力にもとづき給与計算を行うシステムで、時給、日給などの混在が可能だった。

 こうしたファラオで開発したアプリを紹介するカタログや機能説明書などの出版に携わり、普及・啓発に尽力したのが専務理事の富岡氏だ。太田社長は、「入社2~3年目の当時、よく富岡氏と接した。いつも笑顔で励ましていただいた記憶がある。島村(同社創業社長)さんが亡くなった後も、活動の中心で活躍されていた」と、振り返る。

 富岡氏と一緒に、ぱぴろじすとの活動を盛り上げてきた一人が、本紙のインタビューコーナー「千人回峰」で登場したメッツソフトウェアの野口アキラ会長だ。野口会長は「ナイルは、技術屋でなくても簡単につくることができる。当時は類似のソフトがなかったため、かなり売れた」と述懐している。

 だが、IT技術が進化するなかで、開発元であるヴァル研究所はナイルの開発・販売を終え、ビジネスを「駅すぱあと」に関連する事業に一本化している。ぱぴろじすとの活動からも徐々に手を引いていった。しかし、昨年4月に、ヴァル研究所内で、ぱぴろじすとの「設立25周年大同窓会」を開くことになる。太田社長は、「Windows全盛、クラウドの普及と時代が変遷しても、毎年のように研修会を重ねていただいていた」と、これに敬意を表し、再び活動に加わっている。

 実際、いまでもナイルのユーザー企業からは年に数件の問い合わせがある。1年前には、マニュアルが紛失したと、顧客にコピーを送付したこともあるという。

 ヴァル研究所は現在、駅すぱあとのAPIを公開し、クラウドで関連するサードパーティのソフト製品と連携した「オープン・イノベーション」を強化する道を歩んでいる。それでも太田社長は、「ナイルの発売当初は、当社がもっとも充実していた。顧客が何をやりたいのか、いつもユーザー企業や開発会社と議論を重ねていた。その原点を忘れない」と、島村さんがナイルで築こうとした志を忘れず、新たな領域へと突き進んでいる。