テクノロジーの進展によって新たに求められるスキルを習得する「リスキリング」。停滞していた日本にも再び息を吹き込むきっかけになるのかが問われているが、いま日本では労働市場で変化が起きている。早期退職募集と人材投資だ。そこで、今回は対極する二つの変化について解説する。
黒字企業で加速する非デジタル人材のリストラ
まず、早期退職募集については、2022年1月に東京商工リサーチが発表した「2021年上場企業『早期・希望退職』募集状況」をひも解きながら説明する。同データによれば、21年に早期・希望退職募集を開示した上場企業は84社で、前年の93社から9社(9.6%)減少したものの、2年連続で80社を超えるのはリーマンショック後の09年(191社)、10年(85社)以来、11年ぶりだったという。
しかし、コロナ禍による業績の悪化だけが早期退職者募集をかける要因となっているわけではない。この84社のうち、およそ44%にあたる37社は黒字企業なのだ。そこに名を連ねるのは、富士通、本田技研工業(ホンダ)、日本たばこ産業(JT)、パナソニック、近鉄グループホールディングス、ワールド、全日空(ANA)など、名だたる企業ばかりである。
これらの企業が「先行型」と呼ばれるような早期・希望退職者を募る目的は、やはり「非デジタル人材」の切り捨てだ。
例えばNECが18年に実施した希望退職の対象は「45歳以上かつ勤続5年以上のグループ従業員」、富士通が19年に実施した希望退職の対象は「45歳以上のすべてのグループ社員」で、両社とも社員の若返りが目的ともいえるリストラを敢行し、同時に全社的なDXを掲げている。
コロナ禍によって加速したDX需要に向けてデジタル人材の確保が急務となったいま、両社のようなIT系に限らず、今後の会社の成長を見据えて、非デジタル人材からデジタル人材へと社員の入れ替えを考えることは、ある意味、避けられない流れだろう。
早期退職と人材投資、どちらが効率的なのか
一方で、ソフトバンクやヤフーなどがAI人材を育成するためのプログラムを導入するなど、リカレント投資、人材投資に力を入れている企業もある。
例えばソフトバンクの「統合報告書2021」によると、デジタル人材の育成研修の強化を行ってきた結果、法人事業におけるデジタル人材は、4年間で11%(17年4月)から22%(21年3月)、約1200人にまで伸ばすことに成功。全社員向けに「ソフトバンクユニバーシティTech」を立ち上げ、社員がテクノロジーとデータについて学べる環境づくりを推進している。
もちろん、業界として成長性がある企業だからこそ、人材育成に時間を費やす余裕があるともいえるだろう。すぐにでも結果を出す必要のある企業からすれば、短期的に収益を上げるためには人材の入れ替えを選択せざるを得ないのも事実だろう。
しかし、企業によっては早期・希望退職者を募った結果、優秀な人材が抜けていってしまったという話もある。21年に早期退職を募集したパナソニックの楠見雄規社長は、退職者に「将来の活躍を期待していた人材も含まれていた」と定例会見で明かしたという。思い通りにリストラできたとしても、売り手市場となっているデジタル人材の採用には当然コストもかかるだろう。
中長期的に見たとき、果たしてどちらが本当に効率的といえるのか。その答えを出すためにはもう少し時間が必要だが、一つの方向性として見えてきたのが、欧米から押し寄せてきている人的資本経営の波だ。
これまで経営においては、ヒューマンリソース、つまり人材は「資源」であるという考え方が一般的だった。ところがいまは、ヒューマンキャピタル、つまり人材は「資本」であるという考え方が普及しつつある。人的資本経営とは、この概念に基づき、人材に対して投資すべきであり、そういう会社こそが評価されるべきであるという考え方だ。
そして、この考え方には今後の企業経営における二つの重要な視点が含まれており、注目が集まり始めている。その重要な視点とは、「投資を呼び込む力」と「働く個人の価値の最大化」だ。
社員個人の価値の最大化=リソースの最大化
まず投資を呼び込む力については、ISO(国際標準化機構)が制定するマネジメントシステム規格「ISO30414」においても「社内外に対する人的資本の情報開示のガイドライン」が定められており、投資家が財務状況を確認する際の一つの指標となっている。
韓国サムスン電子が金曜日の16時以降を「自己投資の時間」とのルールを作ったのも、人材投資がいかに競争力になるかを熟知しているからだ。導入が遅れていた日本においても、岸田政権が年内には人的資本の情報開示に関する行動指針を示そうと動き出している。
そして個人の価値の最大化は、社員が自分の人生や自分のキャリアに投資し、市場価値を最大化していく考え方だ。
企業としてのリソースの最大化にもつながるという考え方「終身雇用制度」が成り立たなくなったいま。働き手は、仮に今の会社を離れることになったとしても、個人の財産としてのスキルを獲得し、新たな場で生きていく力を身につける必要がある。
当然、自身の価値の最大化のために投資してくれる企業であるということが、優秀な人材を獲得するための優位性にもなっていくだろう。
新卒採用にこだわり、同業種への転職を認めない風潮のあった銀行が積極的に中途採用を行ったり、IT人材が不足している官公庁で民間企業との間を人材が行き来する「リボルビングドア」人材が増えたり、活躍の場もまた循環型へと移行しつつある。
ISO30414の認証コンサルタント資格も持つ慶應義塾大学特任教授の岩本隆氏が、「金融工学で財務データを分析して投資してきたことがリーマンショックにつながったとして金融資本主義が大きく叩かれ、非財務情報(≒人的資本情報)の重要性が叫ばれるようになった」と解いている。
早期退職募集と中途採用をただ繰り返すのではなく、一見遠回りに見えるようでも、人的資本への投資が企業の成長を後押しする重要な一手となることは、大いに期待できると見ている。
■執筆者プロフィール

滝川麻衣子(タキガワ マイコ)
Schoo 執行役員CCO
大学卒業後、産経新聞社に入社。広島支局、大阪本社を経て2006年から東京本社経済部記者。ファッション、流行、金融、製造業、省庁、働き方の変革など経済ニュースを幅広く取材。17年4月からBusiness Insider Japanの立ち上げに参画。記者・編集者、副編集長を務め、働き方や生き方をテーマに取材。さまざまな企業の取り組みや課題を取材する中で「社会人の学び」の重要性を確信し、21年12月、Schooに入社。コンテンツ部門責任者として、これからの社会で必要とされるコンテンツ制作に従事。