「こんな会社、辞めてやる!」と心が叫ぶ。ネットフォレストで社会人生活をスタートした池邊和孝は、たった10か月で会社を辞めてしまう。ウェブデザイナーの職務に就いたが、希望は営業職だった。仕事は忙しく、徹夜作業はあたりまえ。隣の芝生が青く見えた。
転職先では念願の営業職に就いたが、芝生は青くなかった。居心地の悪さを感じていた池邊青年に、ネットフォレストの社長から連絡があった。「飲みにいかないか」。辞表提出から半年が経っていた。酒の席で社長が切り出した。「戻ってこねえか。心残りがあるだろう」。うれしかった。会社は嫌いでも、社長は好きだった。心残りもあった。まさに渡りに舟だが、ただでは戻らない。「営業部門なら」と強気に出た。
ネットフォレストに戻り、営業職に就くと、その後はメキメキと頭角を現していく。マネージャーの就任時には「ビジネスデザイン」事業を立ち上げた。「ウェブサイトをデザインするだけでは売り上げを大きく伸ばせない。もっと踏み込んで、ブランディングからプロモーションまで、顧客のビジネス自体をデザインしようと考えた」。
池邊の思惑は当たり、コンペでは連戦連勝。「ウェブデザインの世界は価格競争になっているが、当社はクオリティに自信があるので、安売りをしない」。そのクオリティは、世界の著名デザイナーが審査員を務めるギャラリーサイト「Awwwards」で、同社のホームページが「SPECIAL MENTION」という賞に輝いたことで証明された。受賞後は、世界中から問い合わせがきているという。
学生時代はラグビーに没頭し、ゲームをコントロールする司令塔として活躍した。「One for All , All for One」。職場でも司令塔となり、芝生を青くした。大嫌いだった会社が、今では好きでたまらない。(文中敬称略)
プロフィール
池邊 和孝
池邊 和孝(いけべ かずたか)
1980年、大分県佐伯市生まれ。大学を卒業後、2003年、ネットフォレストに入社。ウェブデザイナーを経て翌年に営業を担当。新規事業の立ち上げなども経験し、2012年、関連会社であるメディアブリッジの取締役に就任。海外へのオフショア・アウトソーシング戦略やアジアマーケットへの事業拡大という重責を担う。2013年、ネットフォレストの執行役員に就任し、全事業の統括担当となり、現在に至る。