日本IBMのマーティン・イェッター社長は今年いっぱいで退任し、来年から米本社の経営幹部を務める。2012年5月、56年ぶりの外国人社長として日本IBMのトップに就任し、「マーティン」として親しまれたイェッター社長は、同社をどう変えたのか──。“異例”の社長が残した実績を探る。(取材・文/ゼンフ ミシャ)
【注】記事中の担当者名・肩書きは取材当時のものです。
マーティン・イェッター
1959年のドイツ生まれ。86年、独IBMに入社し、エンジニアとしてアプリケーション開発に携わる。その後、シーメンスなど重要顧客を担当するゼネラル・マネージャーを経て、独IBMの社長を務める。経営手腕が評価され、2011年、米本社のコーポレート・ストラテジー担当バイス・プレジデント兼エンタープライズ・イニシアチブ担当ゼネラル・マネージャーに就任。日本を含め、グローバルでの成長戦略を企画・立案する。12年5月、日本IBMの代表取締役社長に就いた。
奇才の黒子 組織をテコ入れ、地方を拓く
日本IBMに改革を起こそうと、米本社が送り出したエース、マーティン・イェッター氏。表に出てカリスマ性を発揮するというよりも、後方でものごとを戦略的に考える頭脳を最大の強みとしている。2012年5月の社長就任以降、「グローバル対応ができる人材が少ない」とか、「地方展開を軽視している」といった日本IBMの弱点を見極め、組織のテコ入れに着手。米本社の優秀な人材を抜てきして日本IBMの重要ポストに配置したり、地方に事業所を新設して現地で存在感を示したり、日本IBMの根本的な再編に取り組んできた。これらの施策の本格的な効果が現れるのはこれからだが、一応、ミッションを終えたイェッター氏は、来年から米本社の経営陣に戻る。日本IBMは今後、イェッター氏がまいた種をどうビジネス拡大につなげるのか。改革はまだ道半ばだ。
“名古屋支店長”じゃない 軌道に乗るか「イェッター戦略」
外資系ITベンダーの日本法人の社長は、独自性のある重要マーケットを任せられていながらも、ビジネス展開に関しては、本社が定めている方針に従わなければならないという意味で、皮肉を込めて“名古屋支店長”と呼ばれることがある。東京に近い名古屋の独自性を本社に説明するのは容易ではないからだ。しかし、日本IBMのマーティン・イェッター社長は、決して、そうではない。米本社の意向を見極めながら、「ローカル」と「グローバル」を掲げ、日本独特の施策を講じてきた。
Local “どぶ板営業”の活動に励む
長年、地方市場に根づく地場ベンダーのように事業を展開してきた日本IBMは、イェッター社長が就任するまでは、グローバル進出を加速している日本の大手顧客のニーズに対して、十分な対応ができていないという課題を抱えていた。一方で、地方市場が元気を失いつつあることから、「ローカル」重視の姿勢を次第に弱めてきた。日本IBMの取り組みは、グローバルとローカルの両方に対して、中途半端になっていたのである。2009年から、売上高と営業利益が右肩下がりで推移していたのには、そうした背景がある。
イェッター社長がまず着手したのは、失った「地方の信頼」を取り戻すこと。2012年7月1日付で、仙台、名古屋、大阪、福岡の4か所に事業所を新設し、現地で存在感を示すようにした。
実は、日本IBMは2000年頃に、関西支社など地方の事業所を閉鎖し、現地で営業活動を展開しつつも、重要な判断は東京・箱崎本社で行うという体制に切り替えた。その影響で、案件への対応が遅くなり、地場の販社とユーザー企業が日本IBMから離れていく傾向が顕著になっていく。その流れを止めなければいけない。首都圏を除く市場は「GDPがフランス一国と同じくらいの水準」──。イェッター社長は就任前から、偏見をもつことなく、数字を基準にして地方の可能性に着眼し、就任後に速いスピードで首都圏以外の市場を開拓するための体制を築いた。
では、実態はどうなのか。4か所の事業所開設から1年後の13年7月、須崎吾一・関西支社長は本紙取材に対して、1年の種まきを踏まえ、本格的な収穫はこれからだと明かして、地方開拓には時間がかかるという実感を語った。後方で地方の営業活動をバックアップしているのは、イェッター社長をはじめとする日本IBM本社の経営陣だ。定期的に各地でイベントを開催し、地場のキーパーソンに対して、IT活用の必要性を説いている。今年6月には、福岡で経営者向けフォーラムを開き、計14人の役員が講演や懇親会を通じて“どぶ板営業”の活動に励んだ。
イェッター社長による急激な方向転換に、戸惑う地場パートナーも出てきている。「日本IBMは、地方でお金持ちの企業と、彼らに提案できる力をもつ販社しか相手にしないようになった」。あるシステムインテグレータ(SIer)の幹部がこう述べる。今年1月に、販売店との直接取引を終わらせ、基本、ディストリビュータ経由の販売に踏み切ったことが、その発言の元になっている。日本IBMと直接取引していることを重要な銀行対策としてきた地方の中堅・中小規模の販社に多大な影響を与えた。
投資力のある地方企業を見極め、積極的に接近する──。イェッター社長のローカル戦略は軌道に乗るのか。地場パートナーとの関係をいかに維持・強化するかが、今後の本格的な成長の成否を決める。
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