一時はコモディティ化したといわれたERP(基幹業務システム)だが、市場がにわかに活気づいている。SAPは、23年ぶりにERPパッケージを全面刷新し、インメモリ・データベース技術をコアにした同社のプラットフォーム「HANA」に最適化した新製品をリリースした。これは、この新製品のデータベース(DB)がHANAに限定されることを意味する。さらに、HANAはクラウド・ファーストを前提に開発されたこともあり、その本格的な波がERPにもようやく到達したといえよう。トップベンダーのこうしたドラスティックな変革が、市場に大きな影響を与えるのは間違いない。競合ベンダーも、従来の基幹業務システムの考え方から脱却し、新しいITトレンドに即した製品を続々リリースし、主役の座を虎視眈々と狙っている。(取材・文/本多和幸)
SAP
23年ぶりにERPを全面刷新
ユーザーのビジネスを変革する
●“HANAネイティブ”、UIも刷新 SAPジャパンは、今年2月、最新のERPパッケージ「SAP Business Suite 4 SAP HANA(S/4HANA)」を発表した。従来のメイン商材である「SAP ERP 6.0」や、これを含む「SAP Business Suite」の進化の延長上にある製品ではない。SAPが全製品の共通プラットフォームと位置づけるインメモリデータベース「HANA」上に一から構築した“HANAネイティブ”ともいうべき製品で、次世代のビジネススイートとして、23年ぶりに全面刷新したものだ。
更新系のOLTP(オンライントランザクション処理)と参照系のOLAP(オンライン分析処理)を両方サポートするインメモリDBであるHANAにより、S/4HANAは、トランザクション処理、データ分析の両方が従来より大幅に高速化された。とくに、データ分析の高速化が実現したことにより、経営の意思決定をサポートする情報をリアルタイムに提供できるようになったのが大きなポイントだ。製品としては、財務・会計パッケージの「Simple Finance」(S/4HANAの発表に先駆けて、これを構成する個別ソリューションの一つとして14年12月にリリースされた)のみがリリース済みの状況だが、SAPジャパンの大我猛・インダストリークラウド事業統括本部シニアディレクターは、次のように説明する。
「Simple Financeは、会計情報をもとに、経営会議や事業戦略会議での意思決定のあり方を変えることができる。ある事業の組織の人数が足りないことが問題だとして、その人数をどれくらい増やしたらどこにどんな影響・効果が出るのかといったシミュレーションを即座にできるので、データをもとにした経営の本質的な議論が可能になる」。
さらに、HTML5によるマルチデバイス対応のUI「SAP Fiori」も導入した。「ユーザーフレンドリーな画面であることはもちろん、従来は“機能カット”だったUIを、個々のユーザーの“役割カット”で柔軟に構成できるようにし、使い勝手も向上させた」と大我シニアディレクターは言う。
●情報系やIoTアプリとの連携 ただし、従来のERPの範疇で「速く、使いやすくなった」だけでは、基幹業務システムを刷新するための大規模な投資をユーザーに促すことは難しい。大我シニアディレクターは、「S/4HANAの進化の最大のポイントは、カバーする範囲が従来のERPよりもずっと広くなっている点」だと強調する。
「IoTに代表されるように、人、モノ、お金、企業など、あらゆるものがデータでつながる世界を、HANAという同一のプラットフォーム上で基幹システムとシームレスに連携させることが、S/4HANAでようやく可能になった。これにより、ユーザーのビジネスは大きく進化する。例えば、これまでは大量生産というと、規格品しかつくることができず、個別ニーズに対応しようと思ったら時間もお金も納期も余分にかかるのが常識だった。しかし、エンド・トゥ・エンドでデータをリアルタイムに活用できるようになれば、大量生産による個別ニーズへの対応も可能になる」。
S/4HANAは、基幹系の周辺システムや情報系のシステムのみならず、ユーザーの外部とも、HANAというプラットフォームを介してつながることを前提にしているというわけだ。そしてSAPは、この連携により、ユーザーのビジネスをデータドリブンなものに変えていくというコンセプトをもっている。これをSAPは、「デジタルトランスフォーメーション」と呼んでいる。
●「DB移行必須」のインパクト 
大我猛
シニアディレクター S/4HANAの登場により、ERP市場にどのような変化が起こるのか。HANAネイティブ、つまり、S/4HANAのDBがHANAに限定されることのインパクトは、相当に大きい。HANAの歴史は浅く、SAP ERPの基盤としては、オラクルの「Oracle Database」やマイクロソフトの「SQL Server」といった他社DBが圧倒的な多数派を占める。大我シニアディレクターは、「他社DBを排除しようという発想はそもそもない。HANAを開発するときに、他のDBベンダーにも声をかけたがどこも乗ってくれなかった」と苦笑する。そして、「目指す製品のコンセプトを、HANAでしか実現できなかっただけのこと。ただ、既存のお客様のことを考えれば、すぐに全面的にHANAを採用してほしいというのはあり得ない話。従来製品も2025年まではサポートし、ゆっくり検討していただく時間を用意した」と続ける。しかし、結果的に、既存ユーザーがS/4HANAを使いたいと考えた場合、データベースの移行が必須になるのは事実で(図参照)、大きなコストと労力がかかる。このハードルを乗り越えてでもS/4HANAを使おうというユーザーを開拓するのは、簡単ではないようにも思える。
そうした事情もあって、現状では、中堅規模の新規ユーザーや、既存ユーザーの新規拠点向けの引き合いが多いという。「DB移行のハードルがないため、ERPの理想像を実現しやすい」(大我シニアディレクター)のだという。年内には、Simple Financeに続くソリューション「Simple Logistics」もリリースする予定で、これにより既存ユーザーのマイグレーション案件獲得も本格化していく考えだ。大我シニアディレクターは、「ロジスティクスというと、単に物流というイメージで捉えられがちだが、Simple Logisticsは財務会計と人事管理を除いたERPの機能全部を網羅した製品になる。その意味で、市場の期待も大きいと理解している」と自信を示す。
SAPジャパンは昨年7月、HANA対応のERPテンプレート拡充をめざすコンソーシアムをパートナーと共同で設立したが、S/4HANAをリリースした後、これを引き継ぐかたちで「S/4HANAコンソーシアム」が発足(21社が参加)し、すでにアイ・ピー・エス、TIS、日本IBM、NEC、富士通の5社が、S/4HANA対応のテンプレートをリリースしている。また、コンソーシアムに参加しているアビーム・コンサルティングは、S/4HANAへの移行支援サービスを開始している。S/4HANA拡販に向けたパートナーの準備も、徐々に進んでいるといえそうだ。
既存ユーザーはDB移行が必須であることを考えれば、S/4HANAの浸透には、デジタルトランスフォーメーションの価値をどう訴求するかがポイントになる。「Simple Logisticsについては、すでにユーザー、パートナーと一緒に共同イノベーションというかたちで事例づくりに取り組んでいる。また、IoTとの連携についても、検証を始めたいという声がパートナーから上がっている」と、大我シニアディレクターは手ごたえを語る。
一方で、S/4HANAはオンプレミス、プライベートクラウド、パブリッククラウドの3形態で提供しているが、「パブリッククラウドは、カスタマイズを入れないようにするのが基本方針」(大我シニアディレクター)となっている。パブリッククラウドでの提供は、新規拠点向けなどで大きなニーズが期待できそうだが、これまでカスタマイズを収益源にしてきたSI系パートナーは積極的に売りたがらない可能性が高い。HANAを他社クラウド上でも利用できるようになっているなかで、どのような販売体制を構築するかが今後の課題になりそうだ。
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