エンタープライズITを支えてきたメインフレーム。1980年代には全盛を誇ったが、クラウド時代の最近では、「過去の遺物」を示す「レガシーシステム」と揶揄されている。市場は終焉に向かうとの見方もあるが、果たしてどの方向に向かうのか。主要ベンダーの声をもとに、市場の現状と将来性をリポートする。
約70年前に始まった歴史
メインフレームの歴史は古い。1951年に米レミントンランド(現・米ユニシス)が発売した世界初の商用コンピュータ「UNIVAC I」を起源とする説がある一方、UNIVAC Iを世界初のメインフレームとする場合もある。いずれにせよ、今から約70年前には、メインフレームの歴史が始まったといえるわけだ。
そもそも、メインフレームとは何なのか。一般的に「汎用機」や「ホストコンピュータ」といわれることが多い。基幹業務システムを構築する“土台”にあたるが、具体的な定義は現在もないと考えられている。
ただ、メインフレームが誕生したことにより、大量のデータを迅速に処理することが可能になった。その結果、官公庁や企業などでの利用が加速。多くの組織でメインフレームが導入されるようになり、社会のIT化は大きく推進した。
IBMが確立したアーキテクチャ
60年代に入り、メインフレームは新しい時代を迎えた。きっかけになったのは、米IBMが64年に発表した「System/360」だ。ソフトウェアによって異なるハードウェアを制御する新しい仕組みを採用し、メインフレームのアーキテクチャを確立させたといわれている。
情報処理学会のホームページでは、System/360について「事務計算、科学技術計算を始めとするすべての応用分野をカバーする『汎用コンピュータ』が実現」したと表現している。
System/360は、市場で大きく評価され、IBMの急成長を支えた。大型コンピュータの市場で圧倒的なシェアを獲得し、他社を圧倒。米国では、ほかのメーカー7社との比較では、「IBMと7人の小人」といわれた。
国策で推進した国産機開発
世界的にIBMが市場を独占するなか、日本だけは異なる経緯をたどった。国が国策としてコンピュータの国産化計画を立て、官民が一体となって国産機の開発を推進したことが理由だ。
具体的には、System/360に対抗するメインフレームの開発を目標に、100億円が投じられた「超高性能電子計算機プロジェクト」や、複数のメーカーで構成するグループの結成などがある。
さらに、海外からの輸入制限も設け、国内メーカーを保護した。国の後押しもあり、国内では、国産機の設置は大幅に増えた。そのため、世界のメインフレームの市場では米IBMが大きなシェアを誇っているが、日本では国内メーカーの影響力が強い。
市場は縮小が続く
メインフレームの歴史は、60年代に本格的に始まり、栄華を極めた。しかし、90年代に入ると、潮目が変わった。システムのオープン化が進んだことが理由だ。
一般社団法人「電子情報技術産業協会」(JEITA)の統計データによると、93年の国内のメインフレームの出荷台数は3350台、金額は1兆1279億9800万円だった。
しかし、その後は右肩下がりの一途をたどった。2016年の出荷台数は228台、金額は315億5200万円となり、いずれも93年当時に比べて大きく減少した。
かつては興隆したメインフレームの市場だが、統計データをみると、収束に向かっているとみられても仕方がない。最近では、メインフレームで稼働させていた基幹業務システムをクラウドに移行する事例も出てきており、市場がV字回復する兆しはみえていない。
国内ではこれまでIBMのほか、多くの国内メーカーが開発に取り組んでいた。しかし、市場の構造が変化し、開発を続けているメーカーは少なくなった。
参入メーカーにも動き
17年には、日立製作所がメインフレームのハードウェア開発から撤退し、IBMからハードウェアを調達する方針を発表。メインフレーム市場の行く末に対する懸念が広がった。
現在、国内でメインフレームを提供しているのは、IBM、富士通、NECの3社が中心。現状に対する認識や今後の方針について、次ページから各社の考え方を紹介する。
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