エッジコンピューティング市場をめぐり
混戦模様を描くメーカー、クラウド、キャリア
製造業向けのエッジ基盤で「日本発」の動き
「日本は、IoTとエッジの将来を見通せるベストポジションにいる。この分野においてリーダーになり得る」
米ヴイエムウェアのパット・ゲルシンガーCEOは、今月来日した際の講演で、社会に対して巨大な影響力をもつテクノロジーとして「クラウド」「モバイル」「AI/機械学習」「IoT/エッジ」の四つを挙げた。ゲルシンガーCEOは、このうちクラウドとモバイルのプラットフォームは米国が握っており、AI/機械学習は米国と中国が主導しているが、まだ混沌としているIoT/エッジの市場では、日本がリーダーになるチャンスがあると指摘し、冒頭のように述べた。
IoTソリューションの適用先の中でも、出荷製品の生産性改善という最も分かりやすい効果を得られるのが製造業であり、日本の国内産業は製造分野の集積が厚い。さらに、IoT向けのエッジサーバーやネットワーク機器を提供しているITベンダー自身が電機メーカーでもあり、自社の製造部門で効果を検証しながら顧客に最適なソリューションを提案できるという強みがある。
三菱電機は今年「エッジコンピューティング向けPC」を銘打った新製品「MELIPC」を発売した。高信頼性、制御用の豊富な外部インターフェース、長期保守サポートといった、いわゆる産業用PCに求められるスペックに加え、エッジコンピューティング用のソフトウェアプラットフォーム「Edgecross(エッジクロス)」に対応することが特徴となっている。
Edgecrossは、アドバンテック、NEC、オムロン、日本IBM、日本オラクル、日立製作所、三菱電機が幹事会社を務めるコンソーシアムが開発したもので、製造設備の監視や予防保全など、製造向けのIoTソリューションに求められる基本的な機能を提供する。コンソーシアムでは、Edgecross上で動作するアプリケーションやサービスを販売するマーケットプレイスも運営しており、Edgecrossをいわば「日本発のエッジコンピューティング基盤」として世界に展開していくことを目指している。
エッジプラットフォーム「Edgecross」に対応した三菱電機の「MELIPC」
また、ファナックがシスコと組んで開発した「FIELD system」、DMG森精機が独ソフトウェアAGらと組んで提供する「ADAMOS」など、産業用IoTの分野では工作機械ベンダーが自ら提供するプラットフォームも存在するが、経済産業省は今年7月、「産業データ共有促進事業費補助金」による助成対象として、これら異なる陣営の連携を推進する「製造プラットフォームオープン連携事業」を採択した。工作機械やサーバーでは競合関係にある各社だが、データ連携の部分では仕組みを共通化し、オープン性を担保。19年度以降、各陣営がそれぞれのプラットフォームの海外展開を強化する。
メガクラウドもエッジに触手を伸ばす
日本では、まさにエッジである現場に近いレイヤーを出発点としてエッジコンピューティングのプラットフォーム化が進みつつあるが、一方で世界のメガクラウドも、自社のクラウドサービスの影響力をもってビジネス領域をエッジへと広げようとしている。
AWSは、同社のサーバーレスアーキテクチャーで活用されている「Lambda関数」のコードを、ローカル端末上で実行するためのソフトウェア「AWS Greengrass」を17年より提供している。これを利用すれば、例えばAWSのクラウドを利用して学習を重ねたAIエンジンを、クラウドから独立した環境で実行することが可能になる。防犯カメラで顔認証を行いつつ、不審な状況が発生したら現場の管理者に通知すると同時に、ローカルストレージに映像を録画開始し、ネットワーク負荷が小さい夜間になったらデータをAWS S3へアップロードする……といったように、クラウドとエッジデバイスのリソースを使い分け、コストとレスポンスを最適化できる。
マイクロソフトも、Azureの機能をエッジ側でも実行できる「Azure IoT Edge」を用意しており、今年6月から一般開発者向けの提供を開始した。適用できる用途はAWS Greengrassと同等だが、マイクロソフトの開発ツールを使って開発し、アプリケーションはDockerコンテナの形態で展開できるなど、よりデベロッパーフレンドリーな仕様になっているのが特徴だ。
AWS Greengrass、Azure IoT Edgeとも、特定のハードウェアを要求するプラットフォームではない。Raspberry Piのような最小限のボードコンピューターでも動作可能な一方、エッジ側でのAI処理の高速化が必要な場合は、GPUなどのハードウェアアクセラレーターを利用することも可能だ。
このようなメガクラウドが主導するエッジコンピューティングに関しては、現場で使われている工作機械やセンサー類との連携が弱い部分があり、国内の製造業にはまだ食い込めていない。しかし、先進的な分析技術やAIなどを現場に導入したいと考えたとき、既にクラウドサービス上で鍛えられているエンジンを、クラウドへの接続性がない環境にも展開できる点は大きなアドバンテージになる。
ドローン画像による構造物の監視システムなどが実用化されているが、ネットワークに接続されていない状態で、AIによるリアルタイムでの異常検知を行えるものは少なく、多くの場合は、録画したデータをサーバーにアップロードして解析する必要がある。しかし、クラウドで提供されていた機能がエッジにも拡張されれば、建設現場や山間部など、ネットワークのない環境でもAIを活用し、人の目では分からない異常をいち早く検知できるようになる。
5G時代の新たなエッジ「MEC」
また、ここまでエッジコンピューティングのためのITリソースは、ユーザー企業の拠点内やエッジ端末内にもつことを前提に話を進めてきたが、20年以降本格展開される5Gが普及すると、その考え方も大きく変わる可能性がある。
5Gでは4Gの100倍ともいわれる高速な通信速度が注目されることが多いが、同じかそれ以上に、遅延の低減やキャパシティーの拡大という面でも大きな技術的進化がある。無線区間の遅延時間は1ミリ秒程度まで短縮されるといわれており、これが実現すれば、従来のモバイルネットワークで避けられなかったタイムラグは有線ネットワークと同等の水準まで抑えられる。また、面積当たりに詰め込める端末の数がより多くなり、1バイト当たりの通信料も低減する。
さらに通信業界では、通信事業者のネットワーク内の処理を効率化するため、「MEC(Multi-access Edge Computing)」と呼ばれる仕様の標準化が進められている。低遅延が特徴の5Gだが、データを処理するサーバーがインターネット上にあると、端末とサーバー間の遅延時間を一定以下に保証することはできないため、自動車の自動運転のようなクリティカルな用途に対応できない。そこで、MECでは携帯電話キャリアの基地局や、基地局に近いネットワーク設備内にエッジサーバーを設置し、その上でデータを処理する。これによって、端末から送信されたデータを分析し、その結果を端末に返すまでの時間を極限まで短くし、5Gの利点を最大限活用できるようにする。MECにおけるエッジサーバー自体はキャリアが運用するものだが、携帯キャリア各社とも5Gのサービス段階においてはサードパーティーとの連携を重視しており、一定の基準を設けた上で、エッジサーバーを外部のサービス事業者に開放する可能性が高い(小紙1749号特集「5G共創の輪に入るには」参照)。
このような技術が普及すると、センサーからデータを収集するためのネットワークをユーザーの拠点でわざわざ個別に構築し、そこにサーバーを設置するよりも、センサーは5G経由で接続し、エッジ処理はMECのエッジサーバー上で行うほうが手っ取り早い。モバイルネットワークに安定してつながる場所であることが前提にはなるが、ユーザー拠点でセットアップ作業をすることなく、機器の電源をオンにするだけすぐに高度なIoT・AIソリューションを展開できるようになるからだ。
今、ITベンダーが「エッジコンピューティングに商機あり」とみているのは、IoT・AIの導入が増えるにつれて、業務の現場に近い場所へ「ミニ・データセンター」を構築するというニーズが高まると考えているからだ。しかし、エッジ構築の案件のうち、標準的なサーバーやストレージでまかなえるものについては、キャリアが提供するプラットフォームに置き換えられていくことも考えられる。また、MECは5G導入に合わせて開発されている技術だが、通信技術として必ずしも5Gを要求するものではなく、実際にNTTドコモと富士通は、商用のLTEネットワークを利用したMEC運用の実証実験に成功している。キャリアのインフラ内で完結するIoTの形態は、5Gの普及を待たずに実現する可能性もある。
「エッジで日本が勝つ」は幻想
先に紹介したゲルシンガーCEOの発言のように、「クラウドやAIは出遅れたが、エッジはまだ日本にもチャンスがある」とする意見はしばしば耳にすることがある。日本が製造現場のスマート化で実績を重ね、製造業の一部はIoTソリューションの外販にも積極的に乗り出しているのは確かだ。しかしそれだけで日本企業のエッジコンピューティング事業が、グローバルで大きな影響力をもつようになるとは考えにくい。「エッジコンピューティングは有望な市場。当社も注力している」というベンダーのサービスをよく見てみると、クラウドへのシフトで失った売り上げを取り戻すべく、再び箱物のサーバーを売るための方便として、エッジコンピューティングというキーワードを用いているようにしか思えないケースもある。
製造以外で見込みのある領域としては、自動車が挙げられる。自動車のコネクティッド化が進み、自動車からクラウドへアップロードされるデータ量は今後、2025年までに1万倍に増加するという予想がある。これを現在のネットワークアーキテクチャでさばくのは不可能であり、エッジ側での処理が重要となる。今年2月、自動車におけるエッジコンピューティングとクラウド連携の仕様を議論するコンソーシアム「Automotive Edge Computing Consortium」が発足し、トヨタや日米の携帯キャリアのほか、米インテルやスウェーデンのエリクソンなど、グローバルの有力ベンダーが参画した。今後、コネクティッドカーの実現に必要な技術要件の定義を行っていく予定で、日本がこの市場で主導権を取るための重要な活動になると考えられる。
先にも触れた通り、「エッジ」という言葉が指す領域自体がまだ非常にあいまいな状況だ。今は「エッジで日本が勝つ」という幻想を追うのではなく、業界ごとに求められる、異なる要件をそれぞれクリアしていくことを目指すしかないのではないか。