一の湯本館
老舗旅館の新たな挑戦
今回取材したのは箱根で宿泊サービスを営む「一の湯」。事業の中核を担う従業員が退職を検討したことをきっかけに、わずか3カ月でテレワークを導入した。チェーンストアによる分業や電子マニュアルを使った業務知識の共有が生きてきた形だ。人材不足に苦心する中、サービス業におけるテレワーク導入のポイントを聞いた。
衝撃!支配人が退職?
現在、七つの旅館を経営している一の湯は寛永7年(1630年)から390年続く老舗。古い歴史を持つ一方で、最新のタブレットや予約システムを整備し積極的に業務効率化を図っている。資本金1100万円で従業員数は約120人、その内の7割が旅館勤務だという。
宿泊業で重視されるのは、顧客に快適な旅行体験を提供すること。必然的に、旅館内での接客が顧客満足度を左右するコア業務となる。しかし、こうした顧客がいるところに従業員もいなくてはならないサービス業は、テレワークと相性が悪い。総務省のデータでもその普及率は下から2番目だ。それでも一の湯がテレワークの導入を決断したきっかけは、ある旅館の支配人を務める中堅社員から退職の相談を受けたことだった。
一の湯
組織開発部
今泉正行部長
「結婚をきっかけに出産・育児のことを考えると、支配人業務を継続するのは難しいと考えたとのことだった。能力面でも技術面でも経験豊富な社員だったので、そのスキルを生かしてほしかったし、本人もできることなら仕事を継続したいという意思を持っていた。背に腹は代えられず、テレワークの導入をほぼ即断した」。そう語るのは組織開発部の今泉正行・部長兼業務システム部長だ。相談を受けたのは2018年11月で、19年2月には在宅ワークの環境を整備し、インフラも整えた。意思決定にかかった期間は1カ月に満たなかった。
導入に大きな問題はなかった
これだけ短期間でテレワークを導入できたのは、同社のもともとの社内風土に加え、選定したツールの力も大きかったと、大野正樹・営業部長は振り返る。
一の湯
大野正樹
営業部長
「常に新たなことに挑戦し、変化を受け入れるのがわれわれの社風。宿泊業としては珍しくチェーンストア理論を取り入れていて、店舗と本社で分業する文化が根付いていた」と語る。チェーンストアは飲食やアパレルなどの接客業でよく取り入れられることが多い経営手法だが、一の湯は30年以上前から取り組んできた。現場での業務と本部での業務をもともと切り分けていたからこそ、在宅ワークをするための業務の洗い出しに時間がかからなかったという。
テレワークの導入については、問題と呼べる問題は発生しなかったという。大野氏は、「接客のイメージが強い宿泊業でも場所にとらわれない業務のボリュームは意外と多い」と強調する。現在、宿泊プランの作成や成約した予約情報の管理を在宅の従業員が担っているほか、「電子マニュアルの整備や、新たな取り組みとしてSNSアカウントの管理などもお願いしている」と今泉部長は語る。特に、電子マニュアルに関してはテレワークに先がけて昨年から導入しており、現時点で600近くのコンテンツを用意している。テレワークで新たな業務を担当することになった従業員の大きな助けにもなった。
導入するシステムに求めたのは遠隔でも勤怠管理ができることと、基幹システムにアクセスできることだ。そこで選んだのがNTTテクノクロスが提供する「MagicConnect」だった。
USBドングルや専用PC端末で社内のPCを遠隔操作できるソリューションで、接続時間によって勤務状況を把握することもできる。テレワークの障壁として挙げられやすいコミュニケーション不足については、「Slack」を導入することで課題を解決した。「業務の開始と終了時に連絡をもらうほか、簡単な作業報告や成果物もある。実際に業務しているのかどうか不安になったことはない」と今泉部長は指摘する。
効果は間接部門にとどまらない
「テレワークに興味を持ってくれる学生も多い」とのことで、新卒の採用を継続的に行っている同社にとっては、テレワークの導入が採用にも一役買っている。ただし、今泉部長が強調するのは、「テレワークはあくまでも選択肢である」ということだ。いくらテレワークによって柔軟な働き方ができるようになったとはいえ、適応できるのは間接業務。本来メインとなるのは当然接客だ。新卒のキャリアとして将来は管理部門への配属を予定していても、店舗での業務をマスターすることが前提となる。「私たちの本質は接客であり、そこにやりがいを感じてもらえる人に志望してもらいたい。結婚や親の介護といったライフステージの変化によって接客に携われなくなったとき、新しい選択肢としてテレワークがある」と強調する。
在宅ワークの従業員とはSlackを使ってコミュニケーションをとっている
テレワークにより間接部門の業務改善が実現できれば、その分の社内リソースを接客に回すことができる。今泉部長は「間接部門と店舗、それぞれの業務を改善していくことでお客様としっかり向き合える時間を増やすことができる。私たちの基本ともいえる接客の質を底上げできるようになる」と語る。
今後は、テレワークに適用できる業務を順次増やしつつ、サテライトオフィスのような在宅以外のテレワークの形態を模索していく。今泉部長は「将来は箱根だけでなく全国展開の可能性もある。そうなったとき、例えばコールセンターを設置したりすることも考えられるだろう。さまざまな形でテレワークの取り組みを拡大させていきたい」と期待を寄せる。
テレワーク普及で変化するデバイス
ビジネスマンの相棒の役割を担ってきたノートPC。近年テレワークの盛り上がりがその進化の方向性に影響するようになってきている。レノボ・ジャパンは6月25日、テレワークを通じた働き方改革を支援するため、オンライン会議などにフォーカスした設計を施したThinkPadの新モデルや周辺機器を発表した。
今回発表した新モデルは「ThinkPad X1 Carbon 2019」と「ThinkPad X1 Yoga」の2種類。マイクやスピーカーを見直すことでオンライン会議機能を追求したモデルだ。特にCarbonは、全方位マイクをディスプレイ上部に配置することで、会議参加者それぞれの声をムラなく取り込むことが可能になった。そのほか、テレワークでの利用を想定したモバイルモニターやオンライン会議システム「Zoom Rooms」をプリインストールした会議端末を発表している。同社の調査ではテレワークが活用されない背景として「職場の方が生産性が高い」「会議に参加できない」といった原因が挙げられるという。モバイル型のディスプレイやオンライン会議機能を充実させていくことでこれらをカバーした形だ。
ThinkPad X1 Carbon 2019年モデル
ビデオ会議用マイクを天板上部に設置するなどテレワークを意識した設計になっている
同社がオンライン会議のニーズをこれだけ強く意識するのは、PCに求められる役割が変化しているからだという。吉原敦子プロダクトマネージャーは、「これまでPCはドキュメントの作成だったり分析といった用途で使われることが多かったのに対して、現在ではオンライン会議や共同編集、ビデオプレゼンテーションなどで活用されるようになった。場所にとらわれない働き方の普及でPCはコラボレーションツールとしての性格が強くなってきている」という。近年、同社はLTE内蔵モデルのノートPCやオンライン会議用のモバイルスピーカーを開発するなど、テレワークを支援するデバイスを拡充している。今後も新たなニーズに合わせたモデルを追求していく。
総務省のテレワーク支援策
中小企業の導入を後押し
2017年から始まった総務省主催のテレワーク促進企画「テレワークデイ」。18年からは1週間に延長したテレワークデイズとなり、今年も開催される。18年には約1680社が参加し、延べ30万人がテレワークを活用した。ただし、このイベントは期間限定のイベントだ。継続的にテレワークを活用してもらうためには、また中小企業でも普及させるためには、多角的な施策が必要になる。
柳谷氏は、「テレワークデイズは20年までの施策だが、これはあくまでも東京オリンピックをきっかけとした企画で、総務省としては長期を見据え全国でテレワークを広げていく目標を立てている」と強調する。総務省では、テレワークデイズと並行してサテライトオフィス設立の補助や、テレワーク導入のアドバイスを行う「テレワークマネージャー派遣事業」などに取り組んでいるほか、セミナー・イベント出展を通した周知活動も継続して行っている。
セミナーでは今年から中小企業診断士をターゲットとした新たなプログラムを作成した。「これまでは、一般の企業へ向けた『テレワークとは何か』を説明する内容が多かった中で、今年からはより具体的な内容へと変更している。ある程度周知が進み、フェーズが移っていると実感している」という。
18年には企業の業種、業態、規模、テレワークの導入フェーズごとに課題となりやすい要因をマトリクス化した資料を作成。各種イベントで配布している。セミナーなどと合わせて具体的な導入モデルを事例とともに提示することで詳細なイメージを持ってもらう狙いだ。
総務省はテレワークデイズが終了する20年以降も、継続して支援施策を打っていく。まずは20年の調査で普及率34.5%を目指す。