急速な少子高齢化で、地域の医療・介護の維持が大きな社会問題となる中、ITを駆使した効率化や高齢者を支える新しい仕組みづくりが求められている。福岡県で高齢者医療・介護に力を入れている芙蓉グループは、高齢者の体温や脈拍、血圧などのバイタル情報をもとに、症状の悪化予兆を検知するソフトウェア「安診ネット」を独自に開発。グループの病院、介護施設で実際に活用して、業務効率を高めたり、医療・介護の連携によって高齢者を支える仕組みづくりで成果を上げている。(取材・文/安藤章司)
深刻な体調変化の
兆候を見逃さない
福岡県にある芙蓉グループは、高齢者医療に力を入れる「筑紫南ヶ丘病院」と、介護施設の「メディカルケア南ヶ丘」を運営している。自らの経験に基づいて、高齢者の医療・介護の特性や課題を分析し、その解決策をシステムに実装したのが安診ネットだ。今では、安診ネットのエンジンを組み込んだ介護業務システムを開発。医療機器メーカーのフクダ電子を経由して販売したり、JBCCと亀田医療情報が共同で開発する電子カルテ「エクリュ」に組み込んで販売するなど、外部向けの販売・サポートにも積極的に取り組んでいる。
高齢者の医療・介護の難しさは、加齢によって自覚症状が明確でないのに医師や看護師が「問診」したり、年とともに「平熱」の基準に変わってきているにもかかわらず現役世代と同じ基準で「発熱」が定義されていたりと、「若年層や現役世代の基準がうまく当てはまらなくなる点にある」と、芙蓉グループの前田俊輔代表は話す。対応を誤ると気づかないうちに症状が重症し、治療に長い時間と費用がかかってしまう。中には発見が遅れて寝たきりになってしまう高齢者も少なくない。
安診ネットの開発に当たって、まずは芙蓉グループ内の重症化を予防する目的で、体温や脈拍、血圧などのバイタル情報を記録し、個々人のデータを蓄積。これを分析するアルゴリズムを開発して、バイタル情報の異常をいち早く検出できるようにした。
介護施設の「メディカルケア南ヶ丘」
高齢者医療に力を入れる「筑紫南ヶ丘病院」
高齢になると平均的な体温が下がり、脈拍数も低下する半面、血圧は上昇し、「健康」であるとされる基準領域は、若年層よりも狭くなる傾向にある。若年層で健康とされている領域でも、生理機能が衰えている高齢者にとっては「異常値」であるケースが散見され、異常の発見が遅くなる、または発見自体が困難な場合もある。安診ネットは、高齢者個々人の普段のバイタル情報をデータベース化し、その人が持つ特有のわずかな変化を検出。変化の深刻度を点数(スコア)化して、医療側へ引き渡すタイミングを見逃さないようにする仕組みを実装しているのが特徴だ。
芙蓉GとJBCCと
亀田がタッグを組む
ポイントとなるのは(1)病院と介護施設の安診ネットを介したデータ連携、(2)介護施設の業務効率の向上、(3)在宅介護など地域全体のデータ連携の可能性の三つ。
(1)について介護施設のメディカルケア南ヶ丘では、入居する利用者の日々のバイタル情報を安診ネットに入力。高齢者個々人の普段のバイタル傾向から重症化につながるような兆候を発見する。その兆候がどれほどの重症度になる可能性があるのかをトリアージ(選別)と呼ばれる手法で分ける。トリアージでは無色、黄色、赤色と複数段階に分かれており、おおむね黄色のスコア3以上だと入院となることが多い。
メディカルケア南ヶ丘の介護職員は、安診ネットで病状が悪化する兆候であると判定されたスコアを看護師に伝え、看護師から筑紫南ヶ丘病院の医師へと伝達。最終的に医師が診断する流れとなっている。
筑紫南ヶ丘病院では、安診ネットのデータをJBCCと亀田医療情報が共同で開発する電子カルテエクリュと連携させて、介護施設側が見ている情報と同じものを参照できる。判定されたスコアが良好でない場合は、病態がかなり悪化している可能性が高いため、病床を準備したり、場合によっては集中治療室の準備を整えるなどの「患者の受け入れ準備をリアルタイムで行える」(筑紫南ヶ丘病院の伊達豊・理事長)メリットがある。
(2)については、以前の職場では紙ベースで管理していた利用者のバイタル情報を電子化したことで、「(体温の変化を記す)熱型表一つを取り上げても、日々の変化がリアルタイムでグラフ化されるようになった」(メディカルケア南ヶ丘の堀田成美・看護師長)と話す。紙ベースでは、グラフ用紙に点をつけ、定規で線を引くアナログな作業。病院向けに利用者のバイタル情報の資料を作成するだけで一苦労だったのに比べれば、業務効率は劇的に改善した。
安診ネットはクラウドサービスに対応しており、例えば(3)の在宅介護にも応用していくことが期待されている。訪問介護で訪問した介護職員が持つタブレット端末からバイタル情報を入力し、病態の早期発見に役立てるとともに、安診ネットを介して病院とデータを共有し、在宅介護から病院へのスムーズな移行を支援できる。次ページからは、病院、介護施設などの職種別に掘り下げていく。
超高齢化社会の現状
情報共有、活用に課題山積
社会保障・人口問題研究所などの調べでは、2050年の65歳以上の高齢化率は37.7%と、国民の3人に1人以上が高齢者となる見込み。高齢者数は40年ごろに向けてピークを迎え、その後は減少傾向に向かうと予測されているが、若年層人口も一緒に減ってしまうことが危惧されている。ドイツやフランス、英国など他の主要国と比べても突出した高齢化率で、今の医療・介護サービスの供給体制では、拡大し続ける需要に応えられなくなる可能性がある。
厚生労働省と経済産業省が合同で行っている「未来イノベーションワーキング・グループ」では、今の仕組みのまま医療・介護サービスを供給し続けるには、ピークを迎える40年には就労者人口の実に5人に1人が医療・介護サービスに従事している必要があると推測。折からの少子高齢化で、働き手が少なくなることから、別の仕組みで高齢者を支えていくことが求められている。その方策の一つとして注目されているのが、地域全体で高齢者を支える仕組みである。
具体的には、医療・介護の従事者だけではなく、自治体や地域のコミュニティー、民間企業などを含めて、広く高齢者を支える仕組みに変えていくことが議論されている。とりわけ民間企業を巻き込むには、ビジネスとして成り立つことが不可欠であり、そのためのキーワードとなるのが「個人情報」の扱いだ。個々人のデータがリアルタイムで共有されることで、どのタイミングで、どのようなサービス需要があるのかを企業側が把握。適切なタイミングでサービスを届けることによるビジネス機会の創出が期待されている。
振り返って足下を見ると、医療職と介護職には、情報共有と連携に大きな隔たりがあるばかりか、病院と病院、病院と診療所といった医療機関同士の情報共有・連携も依然として十分ではない。ましてや、介護を含めた地域全体で高齢者を支える仕組みづくりは、まだほど遠いのが実態だ。広く民間企業のリソースを活用する上でカギを握るとされる個人情報についても、共有・活用していくには超えなければならない心理的、制度的な課題も多い。
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