インターコムは今年で設立20周年を迎える。2002年の仕事始めの日、高橋啓介社長は全社員に、「新しいインターコムになりたい」と宣言。「20周年という節目の今年、積極的に新商品を発売し、ビジネスを成功させる年にしたい」と、攻めの姿勢を強調した。今年1月から毎月新製品をリリース。商品ラインアップは大きく広がっている。攻めの姿勢に高橋社長が込める思いは?今後目指す新しい企業としての方向性とは?
毎月新製品を投入、事業のスピード向上へ
――今年は設立20周年記念の年ですね。
高橋 6月で満20年を迎えます。おかげさまで2002年に入ってから、毎月1本から3本は新しい製品を出しています。今後もASPサービスを含め、新しい商品を引き続き投入していく計画です。
――大変な新製品ラッシュですね。
高橋 そのための準備にずいぶん苦労しましたからね(笑)。20周年という記念の年を迎えるんだから、何としても今年はビジネスとして成功を勝ち得る年にしたいと思っていました。昨年からその準備を進め、昨年に関しては準備の年と割り切り売り上げが減ってもしようがない、その代わりに製品開発をきちんと行い、今年一気に新しい製品を出していこうと考えていました。今年の仕事始めの日、全社員に言ったんですよ、新しいインターコムになりたいってね。各事業部で作っている製品を順次発売し、今年は売り上げを伸ばしていく年にしたい。そのために、「開発納期をきちんと守れ」というようになりました。今までのんびりやってきましたが、かなりスピードを上げてビジネスをやっていこうと考えています。
――ビジネスのスピードを意識して上げようとしているのには理由があるのですか。
高橋 ここ数年、ずっとビジネスが伸び悩む踊り場が続いていたからです。その現状を何としても打ち破って、売り上げも拡大していきたいというのが社長としての願いです。当社の売り上げは、設立から96年頃まで順調に伸びてきました。ところが、96年以降の売り上げは非常に厳しくなっていきました。それは、パソコンの利用インフラが変わっていったからです。当社の売れ筋商品だったメインフレームエミュレータソフトは、メインフレームがオープンシステムへと移行していったことで売り上げを減らしました。通信ソフトの「まいとーく」についても、インターネットが普及し、ブラウザ、メールソフトがOSにバンドルされ無料で配布されるようになって、マーケットがどんどんなくなっていったのです。時代の変化に対応するため、色々な取り組みはしました。ブラウザソフトを出してみたりね。でも、うまくいきませんでした。それ以来、昨年までずっと踊り場状態が続いていたのです。そこで、今年20周年を迎えるにあたって、何としてもこの踊り場状態を打破したいと考えました。
――単純に考えると、パソコン用通信ソフトメーカーであれば、オープンシステムとインターネットが普及することで、売り上げが伸びるのではないかと考えてしまいますが。
高橋 現実は逆でしたね。今でも覚えていますが、日経BPのイベントで10年連続通信ソフト部門第1位だったのに、96年はその座をネットスケープに奪われたんですよ。あれは悔しかったですね。
アライアンスで商品に幅、大手企業の人材も登用
――今年発売になった商品を見ると、数が増えただけでなく、製品の幅も以前に比べて広がっているようですが。
高橋 インターネットで給与明細書を発行する「Web給金帳」のように、新しいジャンルの製品も出てきています。しかしそれ以上に変わってきたのが、当社1社でビジネスを完結するのではなく、いろいろなメーカーとのアライアンスを行うことです。これによって、商品の幅を広げていきたい。これだけインターネットが普及すると、1社ではユーザーを100%満足させることはできません。例えば、「Web給金帳」であれば、業務ソフトメーカーと協力体制をとっていくことで、売り上げを拡大したい。販売に関しても、店頭での販売を伸ばすためには卸しに商品を流すだけでなく、ショップに出向いてたくさん売ってもらえるよう話をするようになりました。全国の主要ショップを回ろうと思ったら、2か月かけても足りませんね。法人向けについても、大塚商会やアイティフォーなど、大手は20社ほど協力して販売してもらう体制をつくりました。また、大手メーカーをリタイヤした方とパートナーシップを組んで、販売してもらう試みも始めたんですよ。今、残念ながらリストラも多く、40代、50代でメーカーを離れる人が少なくない。彼らの経験と幅広い人脈を生かして新しいチャネル、パートナー開拓に役立てています。
――ベンチャー企業であるインターコムが、大手メーカーに在籍した人材を雇用するというのは面白い試みですね。
高橋 外資系メーカーは、事業拡大のために大手メーカーから人材を引き抜き、活用することを以前からやっていました。一方、当社のようなベンチャー企業には、大企業の人材は合わないように思われてきましたが、やってみたら実はそうじゃなかった。幸い、今は引き抜かなくても大企業を離職した人材はたくさんいます。すでに5人に入社してもらいましたが、即戦力として大きなパワーとなっています。今、意識してベテランと若い人を採用しているのです。サポートは派遣から当社の若手社員へと切り替えました。その方が社内の連携など、プラスが大きいと判断したからです。今、技術も変動が激しく、1年先も正確に予測することは不可能です。インターコムは、次の時代も通信をキーテクノロジーとした企業であることには変わりありませんが、具体的な面ではわからない部分も多い。20年前のパソコンビジネスが始まった時期に比べ、経営者としての舵取りは難しいですね。色々と手を打っていく必要があると思います。例えば、パッケージデザインを各製品で統一感があるデザインにしました。また、「未来通信創造カンパニー」というキャッチフレーズも入れたんですよ。もっとできること、開拓できる市場はたくさんあるはずです。アプローチや見方を変えると、まだ気がついていないビジネスチャンスは少なくない。将来的には株式公開も計画しています。満20年からのインターコムに期待してください。
眼光紙背 ~取材を終えて~
「20年前はゼロからのスタートだったから、今と違って成功しやすかった」と高橋社長は苦笑いする。そして、「たまたま、うまくいったんだよ」と繰り返す。「まいとーくだって、つくりたいと言い出したスタッフがいて、最初私は反対したんだ。でも、どうしてもつくりたいというので、スタッフが足りないから『自分でスタッフを見つけてくるならいいよ』というのが最初の条件だった。これが、出したら大ヒット。86年の発売直後に月1000本売れた。で、偶然にも、企業向け、コンシューマ向け2つのラインをもっている会社になった」こんなエピソードを笑顔で話してくれた。高橋社長の大らかなこの笑顔が、運を呼び込んだのではないだろうか。(猫)
プロフィール
高橋 啓介
(たかはし けいすけ)1947年、千葉県生まれ。72年、オートメーション・システム・リサーチ(略称・ASR)に入社。DECnet、IBM SNAなどの通信ソフト開発を担当する。82年にインターコムを設立し、代表取締役社長に就任。
会社紹介
1982年、前職で通信ソフト開発の経験があった高橋啓介社長が設立。ホスト端末エミュレータに代表される企業向けシステム用ソフトと、パソコン通信用ソフト「まいとーく」に代表されるコンシューマソフトという、2つの異なるターゲット向け商品をもっている。「まいとーく」は、現在ではFAX通信ソフトとして人気が高い。「BCN AWARD 2001」と「同 2002」では、2年連続で通信ソフト部門ナンバーワンの座を獲得している。 ちなみに、現在では珍しくないものの、設立時の82年当時としては一般的でなかった「com」の文字を社名に入れている。「大きな展望があってそうしたのではなく、偶然そうなったというのが本当のところ」と高橋社長は笑う。