岐阜県と慶應義塾大学環境情報学部が連携して、ソフト産業の集積拠点「ソフトピアジャパン」が設立されてから10年。これまで大手ITベンダーを誘致すると同時に、ITベンチャー育成・支援に力を入れてきた。理事長を務める熊坂賢次・慶應義塾大学環境情報学部学部長は、「今まで夢を見てきた。夢はいつか醒める」と、ソフトピアジャパンの成果が問われる段階に来ていると見る。岐阜県のIT政策の推進役としてらつ腕を奮ってきた梶原拓知事が引退を表明。ソフトピアジャパンの今後の運営に注目が集まっている。
公共セクターの支援でイノベーションを 大手ベンダーとの協力も実現
──IT産業で地域振興を狙う地方自治体は少なくありません。しかし、その中で成功している例は多くはないようです。
熊坂 まず、梶原拓・岐阜県知事の政治力、実行力でここまで来たことは誰も否定しないでしょう。それに加えて、梶原知事と慶応大学のわれわれが、ソフトピアジャパンの事業を通じて、どうやって地方でITベンチャーを育てるかということについて、考え方をきちっと押さえてきたことも重要だと考えています。県の新産業労働室が政策立案を担い、ソフトピアジャパンが実行部隊という形になっていますが、旧来の行政支援の弊害を排除するように事業を進めてきました。
ITベンチャーを起業するならば、東京のようなマーケットのパイの大きい方が有利に決まっています。激烈な競争を勝ち抜いて、「第2のビル・ゲイツ」を目指そうという起業家もいるでしょう。しかし、地方ではマーケットのパイも小さく、単純にマーケットメカニズムだけでは、ビジネスにすることができない。そこで公共的な部分がどう支援するか、パブリックモデルとしてのベンチャー育成はどうあるべきかを考えました。自治体など公共セクターの支援の建前は、平等と弱者救済です。われわれはコントリビューション(貢献)モデルを考え、ITベンチャーを支援すると同時に、それを基盤としてITを普及させていくということを考えました。そうした点で、梶原知事が慶応大学のわれわれに託したのだと思います。公共セクターの支援事業で、イノベーションを起こすというのがソフトピアジャパンの存在意義の1つでもあります。
──行政の補助金事業のイメージは必ずしも良い面だけではありません。どのような事業モデルを作るかが予算効果を出すカギになります。
熊坂 公共工事の場合、ゼネコンが受注して下請けに発注し、さらに孫請けがあってというピラミッド構造のなかで、地元の中小建設会社も潤うという仕組みが確立されています。公共工事のあり方が問題なし、というわけではありませんが、ITビジネスではどうでしょうか。中央の大手ベンダーが受注して、地元の中小企業、ベンチャーまでが潤うという構造にはなっていません。大手は儲かっても、地域への波及効果が小さい。これではIT産業の中央集中が進むことになってしまいます。だから、地域に貢献できるITベンチャーを育成・支援することが必要なのです。
そのために、われわれが発信する「岐阜モデル」を、ソフトピアジャパン設立の1994年から作ってきたつもりです。支援してきた企業の中から、いずれマーケットメカニズムのなかで闘っていける力をつける企業が出てくる、株式上場する企業も出てくる──というのがわれわれのメルクマールなのです。
──昨年はマイクロソフトが支援する「パワーベンチャー育成事業」がスタートしましたね。それだけ「岐阜モデル」が評価されているという見方もできます。
熊坂 マイクロソフトにとっても、公共セクターと協力しての支援事業は初めてと聞いています。パワーベンチャー育成事業では、第1期で3社、第2期に3社が選ばれています。この中から1社でも大きな成果を生むことを期待しています。
マイクロソフトのような大手ベンダーが参加する意味は大きい。県の力だけでは、民間企業と共同でITベンチャーの育成支援を継続していくことは困難です。ソフトピアジャパンのように、半分は民間というような中間機構があって、民間との協力関係がスムーズに行くのだと考えています。八方美人と言われそうですが、マイクロソフトだけでなく多くの大手ベンダーと協力していくことが可能です。
ソフトピアジャパンに入居するITベンチャーが大手との共同開発に参加できるのも、技術力が備わっているということだけでなく、岐阜県やソフトピアジャパンという信用があってのことです。高い技術力を持っていてノウハウを提供できる、そういう実力のあるベンチャーや人材を育てていくことだけでなく、ITベンチャーが活躍できるようバックアップするというのがソフトピアジャパンの使命なのです。
ITをベースに地域に貢献 産業として育成していく
──ITベンチャー育成という使命とともに、岐阜県という単位を考えれば地域振興の効果も求められることになります。
熊坂 岐阜県は「戦略的アウトソーシング」として、NTTコミュニケーションズに情報システムを委託しました。これは単純に情報システム構築、運営を丸投げするというものではありません。地元のシステムインテグレータやITベンチャーが事業に加わることを想定しています。市町村合併による新システム構築や自治体のIT化など、地域でのIT需要が拡大しています。そうした案件をITベンチャーが受注するようになるでしょう。このネットワーク社会で、これからもITを導入する分野は広がっていく。例えば農業分野などIT化が遅れているジャンルもあります。バイオテクノロジーの進化はITを抜きには語れない。そういう新技術を活用していくためにも、ITは普及していくでしょう。
──梶原・岐阜県知事は1月の知事選に出馬しないことを表明しています。キーマンの引退で、これからのソフトピアジャパンの運営が難しくなる面が出てくるのではないでしょうか。
熊坂 これからが正念場ということは意識しています。96年からの8年間で、ITベンチャーを支援し育成していくスキームはできました。これまでは岐阜県でのITベンチャー育成という「夢を見る」という段階だったと思います。そのために、ソフトピアジャパンという組織や企業やITベンチャーを受け入れる施設、ITベンチャーを育成・支援する仕組みを作ってきたわけです。でも、いつかは「夢から醒める」時がきます。今はそういう段階に来ており、われわれに託されているのはソフトピアジャパンの活動をさらに拡大、発展させていくだけでなく、地域の活性化にもつなげていくことだと考えています。
そのためには、人材の育成も必要、技術の蓄積も重要です。人材を育てるための改革は、地域の小学校から始まって、どうやって全体を底上げしていくかという問題もあります。地方財政はひっ迫しており、来年度のソフトピアジャパンの予算も厳しい状況です。できることも限られてくるかもしれない。しかし、これまでの路線を継承していって、ITベンチャー育成で地方発のイノベーションを起こしていくということは変わりません。
ソフトピアジャパンとしても支援業務の効果を出すために、ベンチャーと対話できるインキュベーションマネジャーのスキルをアップするなど改革を進めます。ソフトピアジャパンの施設で5000人の雇用を生み出すというのは、分かりやすい目標もあります。その実現も必要ですが、ITをベースに地域に貢献し、産業として育成して、皆が豊かになっていく──そういう夢を現実にしていく段階に来ているのです。
眼光紙背 ~取材を終えて~
ソフトピアジャパンにとって人材育成も重要なミッション。そのためには、「今の日本の教育制度ではダメだ」と語気を強める。「地域の小学校から」というのは現在の教育制度を大きく変えていかなければ、日本は世界との競争で遅れをとるとの危機感があるからだろう。折しも、日本の学力低下を示す国際調査結果が次々に発表されている。そこに示された状況は、熊坂教授が指摘する通り。財団の理事長と同時に教育者である一面を覗かせる。
梶原知事の引退を控え、ソフトピアジャパンをどう育てていくかという課題に正面から向かっている。地方財政が厳しいなかで、「予算にシーリングをかけて一律で何%減というのではなく、伸ばすところには重点配分することができないものか」。県の方針とも真っ正面からぶつかっていかなければならないだろう。(蒼)
プロフィール
熊坂 賢次
(くまさか けんじ)1947年1月28日生まれ、東京都出身。69年3月、早稲田大学政治経済学部卒業。76年3月、慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。79年4月、日本大学農獣医学部専任講師。90年4月、慶應義塾大学環境情報学部助教授。94年6月、同学部教授。00年10月、全国マルチメディア専門研修センター長。01年6月、同学部学部長。01年10月、ソフトピアジャパン副理事長。03年4月から理事長。
会社紹介
ソフトピアジャパン(岐阜県大垣市)の設立は1994年3月。その後、民間分譲地の分譲を開始。96年6月には中核となるセンタービルが完成した。さらに98年には、オフィス棟「アネックス」、ITベンチャーのインキュベーション施設「ドリーム・コア」、オフィス棟「ワークショップ24」などの施設が相次ぎオープンした。
これにより、当初の設立目的であるITの基礎研究から応用開発まで、新たなビジネスモデルの創造を目指す研究開発、ITプロフェッショナルの養成を図る人材育成、地域産業の振興に貢献する産業高度化、さらには技術を地元に還元する地域情報化など4つの機能を充足する設備が整った。
03年10月には、マイクロソフトがソフトピアジャパンに入居するベンチャーを対象に、技術支援や資材の提供などを盛り込んだ「パワーベンチャー育成事業」をスタートした。