エンジニアリングで実現へ
──つまり、日本のソフト開発はコストがかかりすぎる、と。近年ではオフショア開発によってコストを抑える取り組みが活発になってきていますが…。
松田 違うんですよ。今のオフショア開発は“人件費が安いところでつくるので、結果的に安くできる”というケースが多い。技術が優れているから海外で、というわけではない。ディペンダビリティで、私が言っているのは、品質を制御する技術を高めることで、コストを最適化する取り組みです。日本のベンダーがソフト開発を発注することが多い中国だって、経済発展によって人件費がどんどん上昇し、従来のやり方では行き詰まる。品質をコントロールするエンジニアリング力を高めれば、国内外のどこでソフトを開発しようが、計画したコストと納期でつくれるようになります。
──品質を制御するとは、具体的にどのようなことですか。
松田 極端な例ですが、原子力発電所を制御するソフトにバグがある、なんてことは許されませんね。でも、ゲームソフトとかなら、多少の不具合があっても、安く売ることで、より多くの人が楽しめるようになる。インターネット経由でバグを修復することも、今は容易です。同じプログラムを書くのにも、前者は品質向上にコストをかけるべきですし、後者は逆にコストを抑える方向でいく。ディペンダビリティをどの程度に設定するのかをユーザーとの話合いで先に決めておき、その要求に合致する品質をエンジリアリングの力で実現する。
今はまだディペンダビリティを決定づける手順ができあがっているわけではありません。SECのこれからの重要な仕事の一つになります。システムの納期や単価にも直接結びついてくる領域ですので、ユーザーの満足度やベンダーの収益力を高めるうえでも、役立ちます。
──松田さんとソフトウェア工学との関わりはいつからなのですか。
松田 けっこう古いですよ。1970年、電電公社に入社して開発の現場にいたのですが、その頃、すでにソフトウェア工学を研究する人が周囲にいたんですよ。現場から見れば学問的で、“実務の役には立たないなぁ”というのが最初の印象でしたが(笑)。その後、国産汎用機DIPS(ディップス)の開発に従事。OSなどのソフト開発では、納期やコスト面で苦労が多かった。ソフトウェア工学の重要性を痛感しました。
──今後の課題は何でしょうか。
松田 ソフトウェア工学は、地道な改良の積み重ねなんですね。基本的に工学ですので、飛躍したアイデアで大発明に至る…、なんてことは考えにくい。やはり、地に足をつけた研究活動がウェートを占める。エンジニアリングのレベルを高めることは、基礎を固めるうえで大切なのですが、ことソフトに限ってみれば天才的な発想力が転換点を生み出すケースが多い。ここが課題です。
アップルのiPodが、ソフトウェアの妙技で世界を席巻したように、日本でも革新的な突破口を打ち出さない限り、本当の意味での国際的な競争力は高まらない。改良の延長線上では革新に至らないのかもしれないですし、SECの力でどれだけできるかも分かりません。ソフトウェアは、家電や自動車など日本が強みを持つほとんどすべての商品の価値を高めるうえでのキーですし、社会インフラもソフトで支えていると言っても過言ではない。SECにおいても、ソフトウェア工学を基盤としつつ、革新につながる“何か”を見いだす必要がありそうです。
眼光紙背 ~取材を終えて~
電電公社時代、松田晃一氏は国産汎用機DIPSの開発に従事した。日本のコンピュータ産業の振興を担う巨大プロジェクトで、「ソフトウェアエンジニアリングのすそ野も広がった」と振り返る。民営化後はNTTデータに引き継がれ、02年までの約30年間、社会保険や郵便貯金のシステムに活用された。
しかし、コンピュータのアーキテクチャも時代とともに大きく変遷。クラウド時代の幕開けとともにソフトウェアのサービス化が急ピッチで進む。今後の日本のソフト産業が生き残るためのエンジニアリングはどうあるべきなのか──。
SECでは、「常に開かれた議論の場を提供する」ことで、難題に立ち向かう方針を示す。これまで産学の有志およそ500人余りがSECの活動に参加。「古参の方も、新参の方も、自由に議論できるオープンな雰囲気を重視する」ことで、突破口を見いだす構えだ。(寶)
プロフィール
松田 晃一
(まつだ こういち)1946年、滋賀県生まれ。70年、京都大学大学院修了。同年、日本電信電話公社(現NTT)入社。情報通信処理研究所基本アーキテクチャ研究部長、ソフトウェア研究所ソフトウェア開発技術研究部長などを経て、95年、理事コミュニケーション科学研究所長。98年、常務理事先端技術総合研究所長。00年、NTTアドバンステクノロジ常務。06年、NTT─AT IPシェアリング社長。電気通信大学理事。東京大学客員教授。08年2月、情報処理推進機構(IPA)IT人材育成本部長。09年1月、IPAソフトウェア・エンジニアリング・センター(SEC)所長に就任。
会社紹介
ソフトウェア・エンジニアリング・センターは、エンタプライズ系や組み込みソフトウェアの開発力強化に取り組む。先進ソフトウェア開発プロジェクトを産学官の枠組みを越えて展開。日本のソフトウェア産業の競争力を向上させている。また、国際標準の獲得や中核的役割を担う人材の育成も図る。設立は2004年10月1日。初代所長は元NTTソフトウェア社長の鶴保征城氏。現在の松田晃一所長は2代目で、鶴保元所長とは電電公社時代からの仕事仲間である。