中堅SIerのワイ・ディ・シー(YDC)の社長に、今年6月、日本オラクル副社長だった東裕二氏が就任した。東社長は「なるべくつくらないモデルを探求する」と、“技術集団”であるYDCの過去の資産を棚卸しし、受託開発型ベンダーからサービスベンダーへと転換を図る方針だ。小回りのきく企業規模の強みを生かし、革新を起こそうとしている。
谷畑良胤(本紙編集長)●取材/文 大星直輝●写真
サービスへ指向を転換
──日本オラクルの副社長からワイ・ディ・シー(YDC)へ転身された経緯を教えてください。
東 ユニークで豪快な宮坂博・前社長(現会長)とは、8年ほど前から個人的につき合いがあって、日本オラクル時代にも仕事上で縁がありました。これまでにYDCの社外取締役や顧問を務め、取締役会への出席やアドバイスをする間柄ということから始まっています。
──ということは、入社前からYDCを知り尽くしていたということですね。
東 そうですね。横河電機グループのIT会社のなかで、グループ内のビジネスでなく、外販ビジネスを専門に行う方針であることは知っていました。ただ、YDCのようにIT部門が分離して外販するビジネスは、必ずしも成功していません。そのなかで、あえて外販を行うとはどういうことか、あるいはいまの実力からして、どこにフォーカスすべきかを社外からアドバイスしていました。
──超大手ベンダーから小さなベンダーに転身した理由というのは?
東 日本オラクル時代には、コンサルティング部門を中心に営業や経営企画、人事などを兼任していましたが、基本は「サービスの人間」です。それ以前の日本NCR時代には金融向けSI(システム・インテグレーション)で「バンキングオンライン」を構築し、日本ディジタルイクイップメント(DEC)の時代にも「ディーリングオンライン」を手がけましたので、サービスが僕の持ち分なんです。
だから、ハードウェアとソフトウェアの大手メーカーに在籍していたものの、心の底ではずっと、きちんとしたサービスを提供できるベンダーが日本にはもっと存在すべきと思っていたんです。それも、日本企業にとって信頼のおけるサービスを提供できるベンダーとしてです。
──そうですか、かなり大きな夢を抱いてのことだったんですね。
東 偉そうにいうとね。で、僕も50歳を過ぎたので、チャンスがあれば、抱いてきた思いを実現するチャンスと考えていたのは事実です。
──下世話な話ですが、日本オラクルの社長には興味がありませんでしたか。
東 僕は「サービスの人間」であることを立ち位置としていますから…。製品の会社は大事ですよ。製品主体のベンダーでサービスを展開するのと、サービス主体のベンダーで製品を使うのは、微妙に違うでしょ?
自分の本分はサービス主体のベンダーで製品を扱うことだと考えていました。日本オラクルのトップになりたいなんてことは、端から考えていなかったですよ。
IT業界がサービス化へ向かうなかで、日本のSIerは「非標準・個別見積り」を依然として続けている。
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