コンサルを投入、クラウドも支援
──概念的には分かるのですが、新たにどんなテクノロジーや製品が生まれ、ビジネス・パートナー(BP)などと共に何を「売る」ことになるのですか。
橋本 「スマーター・プラネット」を形づくる四つのテーマ、共通のテクノロジーがあります。一つは「ダイナミック・インフラストラクチャー」。代表的なのは「クラウド・コンピューティング」です。いかにして標準的で安く堅牢なシステムを提供するかということです。次の「スマート・ワーク」は、ビジネスプロセス自体を柔軟に変更し、コラボレーション(新しい発想や他社との協業)を高める「SOA(サービス指向アーキテクチャ)」的な発想ですね。さらに、膨大な情報から新たな知見を生み出すBI(ビジネス・インテリジェンス)のような「ニュー・インテリジェンス」と呼ぶデータ解析の技術と「グリーン&ビヨンド」の方向性を示しています。
この四つの方向性をパートナーさんに具現化できるようになってもらう。今までもそうですが、これからのビジネスはパートナーと共同で「エコ・システム」を組んで販売することが重要になります。ITシステムだけでなく、ユーザー企業自体の「エコ・システム化」も行っていくわけですから。どのように(パートナーの)強い部分のスキルを蓄え、どう適切にシステム提供するかという支援を強化する必要があると思っています。
──「スマーター・プラネット」が浸透してくると、いままでのようにITインフラを「売り切り型」で販売する形式ではなくなるような気がします。
橋本 従来は「ハードを売ってください」ということをパートナーにお願いしていた。IBM製のハードにパートナーの製品・ソリューションを乗せて「売る」という単純なモデルでした。日本IBMがやらなければいけないことは、ハードだけでなくソフトを含めたコンポーネントを作るスキルをパートナーに身につけてもらうことです。また、日本IBMがもっているサービスとパートナーのそれを組み合わせていく必要がある。
ハードを「売る」だけのパートナーではなく、ソフト、サービスを加えた全体を含めてパートナーとのコラボレーションを組み上げていくことが重要です。
──地方の有力ITベンダーを取材していますと、まだハード売りが主体で、サービス型へ転換するという意識改革ができていないというイメージがあります。こうしたベンダーの収益構造を変えてあげるために、日本IBMは何ができますか。
橋本 現状についていえば、おっしゃるとおりですね。だから「ビジネス・パートナー事業部」が中心になって提案しているところです。頭では分かってもらっていると思います。ただ、身体で理解してもらうまでは、時間がかかりますよ。パートナーがいまの経済危機のなかで、従来と同じことをやっていれば、落ちるのは明白ですよね。パートナーでも「次は何だろう?」と考え始めていますよ。
──そうしますと、既存流通網の役割も変わりますね。
橋本 販売代理店網である「VAD(Value Added Distributer)」が2次店に支援すべきことと、当社が支援すべきことを明確に分け、日本IBMは「ビジネス変革」を支援していきます。
──日本IBMの長年の懸案である中堅・中小企業(SMB)向けビジネスは、具体的にどうしますか。
橋本 従業員1000人以上の中堅企業については、新規を中心に結果が出始め、大手企業向けも堅調に推移している。問題は1000人未満の領域です。ここについては、例えば、パートナーも4000万円のコストでユーザー企業にサービスするのではなく、SOAやクラウド技術などを使って、もっと安価に、例えば2000万円で構築できるビジネスモデルに変えざるを得ないでしょう。
──このようにパートナーのビジネスモデルを変革するのは、なかなか難しいと思いますが。
橋本 そんなに待てないから、少なくとも来年の夏ぐらいまでには、きちんと結果を出さないと。パートナーと中小企業と日本IBMの「エコ・システム」が出来上がるのが来年夏です。もっと重要なのは、上流を変えることです。上流を変えなければ「部品化」はできない。パートナーにはコンサルティング機能が求められてくる。最近は、日本IBMのコンサル担当者をSMB案件に入らせていますし、これを拡大します。パートナーには当社が提供する技術でクラウドを運用してほしい。これはやっていきます。日本IBMのデータセンター(DC)を使うのではなく、パートナーのDCにです。
眼光紙背 ~取材を終えて~
橋本孝之社長は、「日本IBMプロパー」の現場叩き上げだ。とくにゼネラル・ビジネスの責任者を長く務め、中堅・中小企業(SMB)向け施策では、社内の第一人者だ。前任の大歳卓麻社長は「象徴天皇」的な存在だったが、橋本社長は明らかに現場主義の社長であろう。
打てば響く受け答えで、「さすが現場を良く知っている人だ」と、報道側の評価が高い。日本IBMは外資系でありながら、二代前の北城恪太郎社長が築いた「日本化」が浸透し、日本流のベタベタな営業を得意とする。“米国流”では日本市場に入り込めなかったための策だが、橋本社長はこのやり方を最も良く心得ている人物だろう。
現在の日本IBMが抱える最大の課題は長年苦労し続けるSMBの攻略だ。ここに向けて「さらに厚みを加える」と、秘策を匂わせる。持ち前の明るさと人脈の広さで、長年の懸案解決が期待できそうだ。(吾)
プロフィール
橋本 孝之
(はしもと たかゆき)1954年7月9日、愛知県生まれ、55歳。78年3月、名古屋大学工学部卒業。同年4月、日本IBMに入社し、ゼネラル・システムズ西日本名古屋営業所に配属。90年には、米IBMへ出向。帰国してからは、93年1月に東京首都圏営業統括本部・第二営業部部長に、96年にAS/400の製品事業部長に就任した。その後は、ゼネラル・ビジネス(GB)事業の責任者を歴任。03年4月には、常務執行役員BP&システム製品事業担当に就任して以来、常務、専務と取締役を歴任し、09年1月から代表取締役社長。
会社紹介
日本IBMの歴史は1925年に遡る。米IBMの日本代理店権をもつ森村組が、日本で初めてIBM製機器を系列の日本陶器に導入したのが始まり。同社重役の加藤三郎氏がニューヨークの森村ブラザース社を訪問し、事務処理の合理化について同社と米IBMに相談。森村ブラザースが加藤氏を助けるために指名した社員の一人、水品浩氏が事実上の創業者。その後、1937年には日本陶器の名古屋本社に日本ワットソン統計会計機器を設立。59年に現在の社名に変更した。現在の売上高1兆1329億円(08年12月期)。