[以後2年間]行動力のある人を集めて物資を提供
──情報発信からスタートした「ITで日本を元気に!」の活動ですが、その後の2年の間、佐々木さんが指揮を執って、どのように進めてこられましたか。 佐々木 最初は、オラクル時代の人脈を生かして、ベンチャーから大手まであらゆるIT企業のキーパーソンを巻き込みながら、南三陸を中心に、避難所へ物資を提供しました。
震災後の数か月、大きい避難所では全国から届いた物資が溢れていましたが、小さな避難所には何もありませんでした。南三陸のある避難所では、衛生管理が重要な炊事係の人も着のみ着のままで、数週間にわたって着替えることができなかったのです。
私たち支援する側は、何が足りないかがわからないので、まずは避難所に足を運んで「どういう物が必要ですか」とヒアリングしました。情報を収集して、Facebook内に設置したクローズド環境で要望があった物資のリストをつくり、東京のメンバーがそれらを手に入れました。
震災直後は急に寒くなったので、被災地にコートなど冬用の上着がたくさん届きました。しかし、私たちが訪れた避難所では、壊れた家のがれきの中で行方不明の家族をはじめ、写真や貴重品などを探し回って、ズボンが汚れた人が多かったです。「上着よりも、履き替え用のズボンがほしい」との要望を頻繁に聞きました。土日の早朝に仙台駅で東京メンバーと合流してクルマで南三陸へ向かい、ズボンなど要望を満たす物資を届けました。
7月に入って電力供給が回復したあたりから、ITらしい支援にも取り組みました。「ITで日本を元気に!」のメンバーが100人ほどに増え、IT業界で影響力をもっている人も多くなりました。彼らの力を借りてパソコンやネットワーク機器を入手し、被災地の役場や仮設商店街でインターネットにアクセスすることができる環境をつくりました。
東北は、もともと人と人とのつながりが強い面があります。しかし、震災をきっかけに情報の大切さが身にしみてわかるようになって、スマートフォンやFacebookなどソーシャルメディアを活用する人が確実に増えたとみています。
──佐々木さんにとって、この2年間の一番の成果は何ですか。 佐々木 仲間が増えたことです。そして、数だけではなく、「ITで日本を元気に!」での活動を通じて、仲間との関係性が変わったということも大きい。大手IT企業の役員など、通常であれば距離を感じる偉い人も素直な気持ちで活動に参加していただいて、からだを使って一緒に動いてもらっています。皆さん、平日の仕事をこなすかたわら、土日にボランティア活動を行うのはかなり大変ですが、仲間がいるからこそ、今も続けることができていると思います。
ちなみに、避難所で着替え用の服がなかった炊事係の方は、先日、東京・目黒で自分のバーをオープンしました。このように、被災地の人々が新しい生活基盤をつくっていくことも、私たち「ITで日本を元気に!」のやり甲斐につながっています。
[発展に向けて]ITベンチャー支援で地元を活性化
──震災から2年が経過した現在、被災地の復興がある程度進んできましたが、一方で東北地区の課題も浮かび上がってきています。「ITで日本を元気に!」は今後、どう動きますか。 佐々木 東北の復興、そして中長期的な発展を支えるために、われわれは支援団体としても活動を発展させる時期にきていると実感しています。これからは、とくに沿岸部で起業するITベンチャーの支援に力を入れていきたいと考えています。
今年の3月11日には、150人以上を集めて東北ITについて語るイベントを仙台で開きました。イベントの一部として、スタートアップIT企業の代表らが自社を紹介し、商材をアピールすることで、認知度の向上につながる場を設けました。それぞれユニークなITサービスが紹介され、来場者は興味津々の表情で耳を傾けました。
東北のITベンチャーは、すぐれた商材をもっています。全国のIT企業に彼らの商材を紹介して、販売網づくりをサポートしたいと考えています。具体的には、南三陸に産業創造支援センターのような、人と知恵が集まる場所をつくることができないかと構想していて、現在、現地の人々やほかの支援団体と議論をしているところです。
東北IT企業の多くはこれまで、独自商材の開発や全国展開を視野に入れてこなかった。しかし、震災の影響もあって、だんだんとビジネスを維持できなくなりつつあります。会社を成長させ、雇用を生み出さなければ、地元の経済が活性化しません。地方は、時代の変化に応じて変貌を遂げることを怠る傾向にあります。東北もそうですが、震災を経験したことをきっかけに、ぜひ、それを打ち破りたいと思います。
「ITで日本を元気に!」での活動を通じて、いろいろな出会いがあって、IT企業のビジネスモデルの見直しについてヒントを得ることができました。
沿岸部のある水産加工事業者の社長が印象に残っています。彼は、津波によって四つもの工場を流され、仕入先も失いましたが、たった数か月で売り上げを震災前の70%に戻すことに成功しました。なぜそれができたかというと、社長の決断力と迅速な動きによって、仕入先を北海道に変え、残った工場をフル稼働させながら、製品の販売領域を全国に広げたからです。
この社長のように、東北を全国につなげて、「ITで日本を元気に!」に加えて「東北ITを元気に!」を実現したいと思っています。
・FAVORITE TOOL カルティエのボールペン。「トライポッドワークスを創業したときに贈っていただいたものだ」という。重要な契約のサインに使うが、それ以外のときはケースに入れて、大切に扱っているそうだ。
眼光紙背 ~取材を終えて~
震災が起きた後、数回にわたって佐々木氏にインタビューした。話を聞くたびに、佐々木氏からは、東北への熱い思いが伝わってくる。
佐々木氏は仙台の出身。日本オラクルの東京本社で数年勤務した後、仙台に戻り、日本オラクルの仙台支社を立ち上げた。2005年に退職し、セキュリティ製品を展開するトライポッドワークスを設立した。
佐々木氏を突き動かすのは、「ローカルの強みを生かし、地方ならではのやり方でビジネスを展開する」という思いだ。トライポッドワークスの本社をあえて開発拠点として仙台に置き、東京営業所を通じて製品を全国展開する。東北出身のUターン組を積極的に採用し、自社の技術力を磨いている。
氏の行動力には驚かされる。今年3月、韓国出張の直後に被災地への観察ツアーを開催し、翌日に仙台でイベントを仕切った。
東北への強い思いと、途絶えることのないエネルギーを武器に、復興支援に取り組んでいく。(独)
プロフィール
佐々木 賢一
佐々木 賢一(ささき けんいち)
1967年、仙台市生まれ。電気通信大学を卒業後、日本総合研究所に入社。技術開発部門でデータベースの技術開発に従事した後、94年、日本オラクル入社。96年、営業に転身し、2000年にオラクル東北支社開設と同時に東北支社長に就任。05年11月にトライポッドワークスを創業し、代表取締役社長兼CEO。
会社紹介
東日本大震災の後、仙台と東京の企業経営者、IR・マーケティング部門の責任者などが発起人となり、2011年4月11日に設立された任意団体。IT業界に携わる企業人としてのノウハウを生かし、震災復興活動を継続的に手がけるメンバー約100名が参加。被災地からの情報発信をはじめ、ITの社会貢献や地域間格差の是正や地方での創業支援などを目的として、活動を展開している。