目が笑ってない、生涯忘れぬ顔
──で、うまくいきましたか。 まあ、実際はなかなかうまくいかなかったですね。がんばって残業しても、残業分のコストを増やすだけで、肝心の事業部門の売り上げや利益の拡大につながらなければ、よけいに苦しくなるだけですしね。さらに追い打ちをかけるように、ある月末の昼ちょっと前、痛恨のシステムダウンに見舞われました。国分工場で生産した部材は、次の工程へ回すためにいったん倉庫に入れるのですが、アメーバ経営的には倉庫に入れて、初めてその事業部門の売り上げが立つわけですよ。生産システムが止まって月末までに倉庫に品を入れられなかったら、その分の売り上げは来月に回されてしまう。
私は5階にあるその事業部門のところに駆け上がったのですが、工場って微妙に天井が高く、感覚的には10階まで駆け上がったようなつらさでした。工場のエレベータは商品の運搬用ですので、基本的には“商品といっしょ”でなければ乗れません。5階に上がって見た事業部長の怒りの様といったら、生涯、忘れることができません。鬼のような形相ではなく、平静を装っているのですが、目が笑ってないんですよ。
──怖ろしい体験ですが、その後、どう生かされたのでしょうか。 KCCSにいたときは、データセンター(DC)の拡充に取り組みましたが、そこで預かったサーバー機器は、単なる機材ではなく、顧客の売り上げや利益そのものなんだと実感できましたし、部下たちにもそのように伝えました。たぶん、そのときの私の目は笑っていなかったと思います。SIerならではのDCの付加価値を顧客に認めてもらわなければ、とても商売が成り立ちません。顧客の業務に深く入り込んで、DC活用によって、DCにかかる費用を大きく上回る利益が出ていることを、顧客に実感してもらえるように努めました。
──京セラ丸善SIでも、付加価値をどう高めていくかがポイントになりそうですね。 まさにその通りです。この4か月間、じっくり自社の商品や売り方を観察してきましたが、例えば、電子カルテ一つをとっても、ただパッケージをつくって売るのではなく、精神科特有の業務を営業やSE一人ひとりがよく理解して、システムを構築・納入しているんですね。文教や医療分野は、純粋な民間企業とは多少違うところもありますが、それでもコストを削減したり、エンドユーザーの利便性を高めるという点では共通している。こうした点を明確に打ち出していくことで、京セラ丸善SIが生み出す付加価値を最大限に高めていく考えです。

‘「売り上げや利益がこれだけ増えた。だから生み出した価値のうち、これだけを付加価値としてほしい」と提案した。’<“KEY PERSON”の愛用品>セーラーの万年筆 純国産のセーラー万年筆が愛用のビジネスグッズだ。京セラコミュニケーションシステム(KCCS)の常務に昇格したときに、部下から贈られた。この万年筆で書くと「字が上手く見えるような気がする」とお気に入りで、いつも身につけている。
眼光紙背 ~取材を終えて~
京セラに入社すると、「京セラフィロソフィー」と題した手帳サイズの語録が手渡される。先日、日本航空(JAL)に乗ったとき、松木社長の胸ポケットに語録が入っていたのを客室乗務員が目ざとく見つけ、「京セラの方ですか?」と声をかけられた。「顧客一人ひとりをよく見ており、プロ魂を感じた」そうだ。
松木社長の原点は鹿児島の国分工場での情報システム部にある。エンジニアである以上、技術には詳しい。だが、ビジネスとなると「自分の生み出した付加価値=顧客の売り上げや利益の増加にどれだけ寄与したか」で決まる。
情報サービス業のプロである以上、顧客と顧客のまたその先の顧客の利益まで視野に入れ、「徹底的に学んで、愛する」ことが信条。京セラ丸善SIの社長を引き受けてからは、医療機関や図書館、大学に足繁く通い、米国にも視察に出かけた。「どれだけ愛せるかでビジネスが変わる」と信じて疑わない。(寶)
プロフィール
松木 憲一
松木 憲一(まつき けんいち)
1958年、鹿児島市生まれ。83年、広島大学大学院工学研究科修了。同年、京セラ入社。京セラ国分工場(鹿児島県)情報システムセンター勤務。97年、京セラ米国法人へ出向。03年、京セラコミュニケーションシステム(KCCS)商品開発事業部長。06年、取締役。10年、常務取締役。15年4月、京セラ丸善システムインテグレーション代表取締役に就任。
会社紹介
京セラ丸善システムインテグレーションは、京セラコミュニケーションシステム(KCCS)と丸善の合弁会社。従業員数は約370人。決算上はKCCSの連結子会社である。KCCSグループ全体での2015年3月期の連結売上高は1154億円、従業員数は約3000人。