大手SIerとの関係構築が拡販を後押し
──どんな打開策を講じられたのでしょうか。 当時、UNIXが業務で使われ始めていたので、そこにビジネスを広げようと考えました。UNIX系のマシンに、ハードパッケージのようなかたちで技術を移植して、同じことをやろうとしたんです。
──オープン化の波に乗って一気に成長した? いや、案件の単価がかなり下がり、苦しくなりました。やがて、Windowsへの対応も必要だということになって、さらにその傾向は強まりました。プロジェクトマネジメントをきちんとやると、お客様の予算と自分たちが妥当だと見積もる金額がどうやっても合わない。そこで、生き残るために、EDIソフトのパッケージベンダーへの転身を図ることにしたんです。SIの部分はSIerにお任せしようと。SIは、結果的に見積もり以上にコストがかかってしまうことも珍しくなかったですし、少数の不採算案件が事業全体を赤字にしてしまうようなこともありました。そういうビジネスよりは、パッケージのライセンスで稼げるようにしたほうがいいと判断したんです。これがDALにとっては非常に大きな転機になりました。
──それでも、すぐには結果が出ないのでは? やはりお客様の認知度が不可欠で、花王など、ITに造詣が深い先進ユーザーに採用されて、市場の信頼を勝ち取っていったというイメージでしょうか。あとは、大手SIerに積極的に売ってもらえるパートナー網を構築できたのが大きかったですね。これが製品の信用を補完してくれるかたちになりました。
──SIerとの関係づくりもひと筋縄ではいかなかったのではありませんか。 私はもともと技術畑の人間ですが、パートナー営業のような組織をきちんと設けられる状況ではなかったので、部門の責任者として自分が動くしかなかったですね。
例えば有力パートナーの一社であるTISは、銀行とデータをやりとりする自社のサービスでまず使ってみてくれました。彼らにすると、名もない小さなベンダーがつくったパッケージが本当に使えるかと思っていたところはあるでしょうが、「使える」と判断してくれたことで、エンドユーザーに対して説得力をもって売ってくれるようになりました。
ただ、トラブルはやはりあって、よくある話ですが、エンドユーザーがサービスを利用しているときにバグが出てしまったんです。しかし、時間はかかりましたが、技術者が付きっきりで対応したところ、「最後まで逃げないね」と言っていただきました。この時、本当に認められたと感じました。こうしたSIerとの強固な関係を構築できたことが、当社がEDI市場でトップになることができた一番の要因だと思っています。
[次のページ]