基幹業務や社会インフラの領域に近ければ近いほど、ユーザーはより信頼のおけるSIerに発注したいという心理が働く。この信頼を70年にわたって築き上げてきたのが長寿SIerの日興通信である。電信電話の設備工事からNECマイコンショップの運営、そしてネットワーク構築へと業容を拡大。時代ごとに事業の柱は移り変わるが、社名に託した「日本を再興する」という創業者の熱い思いは、社員一人ひとりが受け継いできた。三代目の鈴木範夫氏が社長に就任して20年余り。次の70年もしっかり事業を継続させ、顧客の信頼を勝ち取っていく。
ラストワンマイルを「つなげる」
──まずは70周年おめでとうございます。長寿SIerですと、日興通信をはじめ日本事務器や都築電気、大興電子通信などの電話工事系、事務器系の名前がよく挙がりますね。コンピュータが登場したのが戦後しばらくたってからですので、必然的に電話や事務器の出自となります。
当社も最初は電話工事からスタートした電気通信系の出身です。私の祖父が会社を興したのが1947年。まだ敗戦後の連合国軍の占領下でした。電話工事をするにも、まず焼け落ちた廃材を片付けて、工事に必要な資材を調達するのに奔走したと伝え聞いています。日興通信の「日興」も、日本を再興させるという願いを込めたものです。
当社の優良顧客の一つは農業協同組合ですが、組合員の自宅まで電線を引いて、電話機を設置する工事もずいぶんと請け負わせていただきました。初期は電話交換が手動式だったり、電話の設置数が少ないときは呼出式だったりと、今の電話とはずいぶん違っています。その頃からずっと農協関連の電話や通信、その後のコンピュータ化まで、ずっと当社が関わってきました。日本のSIerのなかで、当社が農協との取引実績が最も長く、農協の業務についても一番詳しいと自負しています。
──電話工事を手がけていた時代から、NECと密接な関係にあるとうかがっています。
もともとNECに勤めていた初代が、その退職金を元手に起業していますから、見方によっては「創業前から密接な関係がある」といえますね。その後の電話工事の時代もNECとの関係は続きますが、当社としては1980年代のパソコンの時代、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでNECとともに成長できた経緯があります。NECマイコンショップを展開した時期で、社員数もピーク時で1300人、全国36か所に拠点をもつに至りました。初代が会社を興し、先代がNECのパソコン事業の拡大の一翼を担うかたちで当社を大きく育ててきました。
──鈴木社長がご入社されたのが87年ですので、まさに先代とともに会社を大きくしてこられた。
おっしゃる通りなのですが、残念ながらパソコンが行き渡るとマイコンショップは役割を終えてしまいます。その一方で、90年代半ばからインターネットの普及期に入ると、通信ネットワークのあり方が、がらりと変わるのですね。そこでパソコン事業を手がけるのと並行して、通信キャリアの局舎から家庭のパソコンまでの「ラストワンマイル」を結ぶネットワーク事業に参入しました。この事業が大いに成功することになります。
事業部門が「つながらない」ことも
──日本のインターネット黎明期の常時接続環境といえば、ベンチャー企業の東京めたりっく通信が先駆けでしたね。
当社も、まさに東京めたりっく通信が始めたネット常時接続の通信回線ADSLの敷設工事に参画したのです。日本で初めてADSL方式でのインターネット常時接続のインフラづくりに挑戦し、その後、ソフトバンクがその事業を継承。投資額も一気に増えて、あのときは技術者だけでなく、事務方の経理や総務の人員まで現場に動員して敷設作業を手伝ったものです。前後して99年にはNTTドコモのiモードが始まり、日本もようやくインターネットの本格普及期に突入した時代でした。
私は96年に先代から社長を引き継ぐと同時に、インターネットが社会を支えるインフラになると肌で感じていました。ADSL敷設をはじめとする大型案件の受注も相次いでいましたので、「ネットワークの日興通信」を会社の標語に採用。従来の電話や通信、コンピュータ関連事業に、新しくネットワーク事業を加えたのも、このときです。
──電話からコンピュータ、ネットワークと、一見すると「つながっている」ようですけれど、70年という長い時間軸でみると、けっこう「つながらない」部分もあるのではないですか。
確かに過去にはそういうことがありましたね。とくに80年代から90年代にかけて、人員を大量採用したときは、電話設備系の既存事業と急速に拡大したコンピュータ事業にみえない壁みたいなものができました。コンピュータしか知らない若い社員が、社内のPBX(内線電話)の設置工事をしている社員に、「電話屋さんですか?」と素朴な質問をしたのは、もはや語り草になっています(苦笑)。自分の担当するコンピュータ系の仕事とあまりに異なっているため、うっかり「他社の社員」かと誤解してしまったのです。
今でこそすべての端末はネットにつながっていますが、当時のコンピュータは、まだまだスタンドアロンが多かったので、仕方のないことかもしれません。その後は、ネットワークは電話からコンピュータまですべてつないでいきますので、会社全体をまとめあげていくのにも役立ちました。
──ネットワーク技術の強みを生かしたビジネスでは、直近でどのようなものがありましたか。
そうですね。例えば秋田県内の消防一部事務組合向けに最新のデジタル無線技術を駆使した消防指令システムを構築したり、静岡県の私立大学向けの学内ネットワークを構築しています。後者はソフトウェア制御ネットワーク(SDN)方式で、ネットワークを柔軟に組み替えられるようにしました。県内大学で基幹部分にSDNを採用したのは初めての先進的な事例です。他にも、同じく静岡県内の信用金庫の支店に屋外タイプの大型デジタルサイネージを設置。市役所や警察署とネットワークで結んで地域の活性化や防災情報の活用に役立ててもらっています。
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