デジタルトランスフォーメーション(DX)が成熟する中、新たなアプローチとして「エクスペリエンスマネジメント(XM)」が注目を集めている。同領域の先駆者としてグローバルで事業を展開する米Qualtrics(クアルトリクス)は、今年で創業20周年を迎えた。日本市場参入は2018年からと日は浅いが、グローバル戦略におけるTier1マーケットとして急成長を遂げている。日本法人の立ち上げからかじ取りを任されてきた熊代悟カントリーマネージャーは、さらなる市場拡大のためにパートナー戦略を軸にした「XMの文化醸成」に意欲を燃やす。
(取材・文/大蔵大輔 写真/大星直輝)
導入支援でXMの効果を高める
――18年に日本で事業を開始し、今年で5年目を迎えました。
日本法人を立ち上げたときの社員は私を含めて二人でしたが、現在は100人を超えるところまで拡大しました。新型コロナウイルス感染拡大などの世の中の大きな変化もあり、まさにジェットコースターのような5年間だったと感じています。当社サービスの強みは単なるアンケートとは異なり、分析した結果を社内の誰に示すべきか、どんなアクションを起こすべきかというところまでトラッキングできることです。さらにそのプロセスを定着させるための支援を行うことで、お客様を成功に導きます。一部のエクスペリエンスにフォーカスしたサービスは他にもありますが、顧客・従業員・製品・ブランドの四つの領域を一つのプラットフォームで包括しているのはクアルトリクスだけです。
――日本におけるXMの認知はどのように広がってきていますか。
日本でもCX(顧客体験)という言葉自体は、18年時点でそれなりに認知されていましたが、EX(従業員体験)に目が向けられ始めたのは最近のことです。コロナ禍によってリモートワークが浸透したことで、従業員をケアしなければという流れが加速し、引き合いが増えています。ただ注意が必要なのは、XMソリューションは導入してすぐに成果が出るものではないということです。XMの価値を理解していただくには時間がかかります。DXは業務をデジタルに置き換えるだけではなく、それを使いこなすために従業員のコンピテンシー(能力・適性)が求められますが、それはXMに対しても同じことが言えます。成功のためには、XMの文化をいかに醸成していくかということが重要です。
――クライアントの業界や事業規模に変化はありますか。
SaaSということもあり、業界や事業規模を問わず、それぞれに合った使い方ができるように設計されています。もっとも参入時は口コミを重視する日本市場の傾向を意識して、大手企業の導入に注力し、認知度を広げる戦略をとっていました。現在はその成果が出てきたこともあり、業界や規模を問わず採用していただけるようになってきました。また、6月に米Amazon Web Services(アマゾン・ウェブ・サービス)を利用した国内データセンターを開設したことで、厳格なセキュリティ要件が存在する政府機関や金融機関にもサービスを提供できるようになりました。米国ではすでにFedRAMP(クラウドセキュリティ認証制度)を取得していますが、日本でもISMAP(政府情報システムのためのセキュリティ評価制度)の取得を視野に入れています。
――XMを浸透させる上で、日本市場ならではのハードルはありますか。
日本企業は1対1の対応力はとても高いのですが、組織対組織となると自分の管轄以外の業務に関わるのに消極的で、体験の質が下がっているというケースが多くあります。コールセンターで拾い上げたユーザーの声が営業部門には共有されていないといった具合です。欧米では企業内で横断的にCXを管理する部門が立ち上がるなど、XMをフル活用できる環境が整いつつありますが、日本企業はまだこれからという印象を受けます。XMの効果を最大限に実感していただくためにはこうした組織のあり方を変えていかなければなりません。当社ではプラットフォームをより効果的に使っていただくための支援も行っているので、徐々に成熟度は上げていくことができると考えています。
成長のかぎはパートナーとの共創
――今年2月にパートナーの増強と支援強化を打ち出しました。
当社にはグローバルでリセラーの仕組みがなく、日本法人の設立時から本国に対して必要性を訴えてきました。2年以上にわたって説得を続け、21年にリセラー制度を開始しましたが、先ほども申し上げたようにXMは導入する企業の働き方改革や環境づくりを支援していかなければ広がっていきません。2月に発表した戦略はパートナーとお客様の成熟度をいかに上げるかということがポイントで、この1年を通してかなりのノウハウを蓄積することができたと考えています。
具体的には導入支援を行っていく専任チームを組織して、各パートナーと共にスキルアップしていく体制を構築しました。また、当社サービスだけではなくお客様が利用している他のサービスも含めたフィードバックを聞くために、ISVとの連携強化も図りました。業務全体を俯瞰することで、より質の高いXMを提供できるようになってきています。パートナーの数も増えています。5月に伊藤忠テクノソリューションズが新たに加わり、さらに年内に数社と契約を締結する予定です。とにかく広げていこうというのではなく、導入支援をしっかりやっていただける企業に絞って手を組んでいます。
現在、リセラー制度を展開しているのは日本だけですが、独自路線にはならないように注意しています。グローバルの共通したパートナー基盤に日本ならではの方法をプラスしているというのがあるべき姿です。アジア圏ではリセラー制度が有効に機能する地域も多いので、日本での成功を他でも生かすべく、本社と常に情報交換を行っています。
――23年はどのような戦略を立てていますか。
注力していきたいのは、既存顧客の成熟度モデルを高めること、そして日本特有のニーズを反映していくことです。例えば、日本では厚生労働省が50人以上の組織にストレスチェックを義務化していますが、当社のEXプラットフォームにはそれがデフォルトで備わっています。こうしたテンプレートを増えていけば、製品は日本のお客様にとってより使いやすいものになっていきます。テンプレートは当社で開発するだけでなく、パートナーの力も借りたいと考えています。「うちであれば、こんなテンプレートを提供できますよ」というようにほかのパートナーと差別化するアドバリューにもなるはずです。
認知度高め、全国に訴求
――事業拡大を図る上で、今後の課題はありますか。
認知度をさらに上げていくというのはやっていかなければならないことだと思っています。全国に訴求していくには自力では難しく、パートナーの協力は不可欠です。そのために間接販売の仕組みを新たなバージョンにアップデートすることも検討しています。先ほど紹介したパートナー特有のテンプレートを作っていただくというのは、まさにその一例です。パートナーへの期待はチャネルだけではありません。蓄積されているノウハウを足すことで、そのパートナーにしかできないXMの提案というものが出てくると考えています。
眼光紙背 ~取材を終えて~
ホテル業界出身というIT企業の経営者としては珍しい経歴の持ち主だ。ただ、自身は別物とは捉えておらず、「お客様や社員の声を聞いて体験を高めるという軸は同じ」と語る。長年にわたってリアルとデジタルで体験の本質を追求してきたからこそ、現在は体験の価値がかつてなく高まっていると感じている。
「行きつけの喫茶店であっても最悪の体験があれば、別の店に乗り換えますよね。いまBtoB市場における乗り換えもそのくらいフットワークが軽くなりつつあります」。働き方改革の必要に迫られ、社内インフラやサービスを見直した企業の多くは「こんなにも変わるのか」と効果を実感したはずだ。SaaSであればスイッチングコストも抑えられる。今後は体験に少しでも不満を感じれば、喫茶店を変えるように別の選択肢に流れていくだろう。ユーザーの体験を軽んじれば、提供するベンダーにそのツケがすぐに回ってくる時代となったわけだ。
クアルトリクスのソリューションは、海外を含めるとスポーツチームやメディアなどでも採用されている。「当社のサービスを必要としない業界はないんじゃないか」という言葉は決して大袈裟ではない。取材中に「そうだ、BCNにも営業に行かなきゃ」と場を和ませてくれたが、案外冗談ではないのかもしれない。
プロフィール
熊代 悟
(くましろ さとる)
1969年、奈良県生まれ。米ワシントン州立大学ホスピタリティー経営学部を卒業後、ウェスティンホテル東京に開業メンバーとして入社。その後、金融機関向けIT人材サービスの日本支社立ち上げに携わる。米Documentum(ドキュメンタム)/現米OpenText(オープンテキスト)、米Interwoven(インターウォーブン)などでキャリアを積み、2007年にインターウォーブン日本法人代表に就任。18年に米Qualtrics(クアルトリクス)の日本事業立ち上げに伴い、日本現地社員第一号として入社。同年、カントリーマネージャーに就任(現職)。
会社紹介
【クアルトリクス】米国本社は2002年に設立。顧客、従業員、製品、ブランドのエクスペリエンス・マネジメント・プラットフォームをSaaSで提供する。19年の独SAPによる買収を経て、21年に米ナスダックに上場。日本法人は16年9月に設立、18年1月に事業開始。