視点

卒論の情報品質

2005/01/31 16:41

週刊BCN 2005年01月31日vol.1074掲載

 節季柄、卒論の出来栄えを話題にする。まず、大本に、若いのだから少々フライングしても、なにかこれぞという卒論を書いてほしいという、センコー共通の心底からの願いがあることを前提にする。

 ここ5年間の卒論は、まったく困った事態になっている。ウェブサイトの情報をいかにも自分の意見のように写すのが多くなったからだ。引用を明記するどころか、自分の意見と他人の意見の区別がつかなくなってしまっている。どんなにいじろうと、丸写しの文章はただちにわかってしまうものだ。一部丸写しても、せめて自分の意見を俗論にぶつけているならまだわかる。ほとんどが「環境にやさしい」などという科白をすぐ吐いてしまう類だから、ぜんぜん駄目なのだ。まずは、しぶといセンコーに読まれるのだという読者分析がなっていない。

 一生の思い出になるかもしれない大学の勉強は、卒論くらいのものだ。だから、やったという達成感を感じてほしい。なにか新しい知見にとどいてほしい。本当のことを表示してほしい。また、なにがしか役立つことを書いてほしい。さらに言えば読んで面白いと一番良い。こういう論文作法を全部満たしているのはさすがにわずかだ。

 新鮮かどうかは、センコーが一番気にするところだ。朝日新聞やNHKに蔓延する益体も無い情報とはっきり区別した議論を展開してもらいたい。たるんだ俗論を鵜呑みにして、なにが若者か?本当かどうか疑う力は、場数にもよるが、日本語作法の根本ができていないとむずかしい。ウェブの掲示板の御託をみるととてもよくわかる。自分がナニサマかわかってないし、まだ読者分析ができてないのだ。

 面白いかどうかは、一番気になるところだ。役に立つ中身になっているかどうかといえば、ほとんどが、本人のワープロ訓練くらいにしか役に立ってないのではないかと暗澹となる。262のパレードの法則ではないが、これらを満たす論文は、10%に満たないのが実情だ。

 決してないものねだりをしているわけではない。なかには面白いのがあるのが、せめてもの救いである。ウィンドサーフィン(ネットサーフィンではない)をテーマにしたもの、大麻のオランダモデルを論じたもの、センコーのプログラミング教育をこきおろしたものなど傑作が無いわけではないのだ。これらは、若いながら、みな自分の意見をもっているのがうれしい。また。ウェブの情報をほとんど使っていないのも共通している。
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