視点

合理的にだって血も涙もある

2005/04/04 16:41

週刊BCN 2005年04月04日vol.1083掲載

 ホワイトカラーの生産性を上げるために、より科学的に考え合理性を持たなければならないと私が言うと、日本の経営者のみなさんの多くは、まずこんなふうに反論する。

「宋さんね、合理的なことも大事だけど、あまりそんなこと言っていると、お客さんが離れていくよ」

 そこで私が、「社長さんのおっしゃっている合理的というのは、どんなことでしょう。1つ例を挙げて教えてください」とお願いすると、こんな例を持ち出す。

「例えばあるお客さんから、『そんなに急いではいないけど、相談があるので担当者に来てもらいたい』と連絡があった。担当者はその日は別のお客さんを訪問する予定があり、そちらは売り上げにつながりそうだとする。このケースでは、お客さんが急いでいないと言っているので、売り上げの立ちそうなお客さんを優先するのが合理的でしょう」

「そのお客さんの本当の気持ちはどうなんですか。本当はその日に来て欲しいと思っているなら、行ってあげることが合理的ではないでしょうか」と私が答えると、その社長さんは納得のいかない顔をする。

 私はさらにこんな言葉を加える。

「お客さんは全然来て欲しいと思っていないのに、勝手にこちらが訪問しなければならないと思い込んで通っている場合はないでしょうか。お客さんの気持ちをきちんと聞いて、必要とされる場合には確実に伺うようにするのが、合理的だと思います」

 つまり、私の言う合理的というのは、ちゃんと相手の心理も研究した上で対処するという意味である。相手がお客さんなら、その立場に立って考え、対応する。決して自分の都合を最優先して、お客さんの気持ちを無視するという意味ではない。

 日本のみなさんの多くが理解している合理的という言葉は、冷たいとか相手の感情を意識しないという意味で使われている。「血も涙もない」というあれだ。この誤解が、日本のホワイトカラーに合理的な考え方が育たない理由の1つだと思う。

 お客さんの心理をきちんとマネジメントできない会社では、合理主義はあり得ない。

 注文が取れない営業担当者に、「それはお前がお客さんに情熱を見せてないからだ」などと上司が言えば、営業担当者はまさに夜討ち朝駆けをせざるを得ない。こんな間違った情熱を見せられても、本来はお客さんだって迷惑なだけだ。
  • 1