視点

読書の秋にアーカイブの実り2つ

2007/11/05 16:41

週刊BCN 2007年11月05日vol.1210掲載

 読書の秋に、関わっているテキスト・アーカイブ、青空文庫からの実り2つを届けられた。1つは、ニンテンドーDS用の『DS文学全集』。もう1つは、約8000の図書館に青空文庫から寄贈する冊子、『青空文庫 全』だ。後者には、収録作品のうち著作権切れの約6500点をおさめたDVD─ROMを付けた。

 私たちは10年前、テキストを軸にした電子図書館のモデルを作ろうと、青空文庫を始めた。インターネット上のテキストなら、世界中の「誰も」が、コンピュータのメリットを生かせる形で利用できる。だがはじめてすぐに、想定していた「誰も」の範囲が、いかに狭かったか思い知らされた。全盲の人たちが、読み上げソフトで作品を味わっていると教えられたのだ。

 以来10年、収録作品の増加につれて、インターネットでは青空文庫の利用は広がった。ただ、達成できた「誰も」の水準に満足して良いものか、疑問が生じた。きっかけは、著作権保護期間を作者の死後50年から70年に延ばそうとする働きかけだ。アーカイブの基盤としてのインターネットの効き目が明らかとなったその時に延ばせば、知的な資源を共有し、先人の肩の上に容易に立って先を目指そうとする流れが阻害される。私自身も共感するそうした観点からの延長反対論は、インターネット上にはかなりの厚みをもって存在している。

 だが、著作権制度の方向付けは、少なくとも形式的には、国民全てで行うべきことだ。そのかなりが、アーカイブのメリットを享受できないままなら、この問題は多くにとって、縁遠い話に終わる。そもそも青空文庫の成果物を、インターネットの利用者だけに提供している現状も気になりだした。「誰も」の幅を、今度は自覚的に広げられないか。そう考える中から生まれたのが、『青空文庫 全』の寄贈計画。知らされたのが、『DS文学全集』の企画だった。

 『DS文学全集』は全て任天堂の仕事で、青空文庫はただ、収録作品100のうち94点のテキストを使ってもらったに過ぎない。だが、自由に使えるファイルの存在は、2800円という低めの価格設定には貢献できたと思う。

 迂遠とは承知している。だが、アーカイブの実りを、より多くの人に味わってもらえるよう働きかけを重ねることは、この道を志した者の本来の使命であり、著作権制度の在り方を「我々」総体が主体的に選ぶための必須の要件でもあると考える。
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