皆さんの会社でプログラマと呼ばれる方々の最高齢は何歳だろう?50歳や60歳でプログラムを書いている方はおられるだろうか?私の会社にはそういうプログラマがいる。彼らはプログラマとして日常的にプログラムを書いているが、時にはオペレータであり、ソフトウェアエンジニアでもあり、そしてソフトウェアアーキテクトでもある。私が海外から新しいクラウド技術製品を探してくると、まずは、彼らがそれを社内やクラウドの環境にインストールし、テスト運用し、機能や性能を評価し、いろいろと問題点をみつけてくれる。それを開発元にフィードバックし、その製品のバグはもちろん技術的改善点などを指摘するのだが、そのことが開発元のエンジニアたちに高く評価され、開発元とわが社の信頼関係を形成する大切な要素となっている。
彼らが60歳近くの年齢になっても、クラウドの最先端技術を理解し活用できる理由は、彼らが若い頃からその時々の最先端技術とともに、その理解に必要な新たなプログラミング言語を学ぶという地道な努力を、今日まで途切れることなく続けてきたからに他ならない。昔々、私の若かりし頃、プログラマ35歳定年説という考え方がまことしやかに語られていたが、その一方で、「人工知能の父」と呼ばれるマービン・ミンスキーが老いてなお自分でプログラムを書いているといううわさも聞こえてきた。私はプログラマに定年などないと考えている。それどころか、すぐれたソフトウェアアーキテクトであるためにも、すぐれたソフトウェアエンジニアであるためにも、その時代々々の最先端のプログラミング言語やコーディング技術を熟知している必要があると考える。すぐれたプログラマであればあるほど、ある年齢に達したからといってプログラマを止めるなどという考えはもたないはずである。
クラウド時代のソフトウェアエンジニアには広範な技術的知識が求められる。それを20代や30代の若いエンジニアの方々に教育するということも大切だが、40代や50代の熟年エンジニアの皆さんにこそ、これまで積み重ねられた知識や経験に拘泥することなく、クラウド時代の新しい技術体系を受容する覚悟をもち、若いエンジニアの皆さんと競い合ってクラウド開発に挑戦する気概を求めたいと思うのである。
一般社団法人みんなのクラウド 理事 松田利夫
略歴

松田 利夫(まつだ としお)
1947年10月、東京都八王子市生まれ。77年、慶應義塾大学工学研究科博士課程管理工学専攻単位取得後退学。東京理科大学理工学部情報科学科助手を経て、山梨学院大学経営情報学部助教授、教授を歴任。90年代に日本語ドメインサービス事業立上げ。以降、ASP、SaaS、クラウドの啓蒙団体設立に参加。現在、「一般社団法人 みんなのクラウド」の理事を務める。