ウィッツテクノロジーは、アジア成長国の人材を積極的に活用している。業界に先駆けてミャンマーに拠点を開設。地場の若い技術者らが中心となって、成長国ならではの斬新な発想を生かした新規ITサービスの開発に意欲的に取り組んでいる。国内は長年培ってきた業務システム開発の手法が確立されているのに対して、ミャンマーはフリーハンド(自由裁量)で、最先端の開発手法を採り入れられることを強みにしていく。(取材・文/安藤章司)
Company Data
会社名 ウィッツテクノロジー
所在地 東京都台東区上野
資本金 1000万円
設立 2006年10月
社員数 約60人
事業概要 ウィッツテクノロジーは、中国・ASEANを中心としたグローバルビジネスの拡大を念頭に、国内外の技術者を積極的に採用している。直近では日本や中国、ミャンマー、韓国、インドネシアなどの出身者が在籍。ミャンマーには拠点を開設し、10人ほどが勤務している。また、全虎男代表取締役は中国系SIer団体の華人IT企業信用協会の副会長を務めている。
URL:http://www.witts-tec.com/
「中国オフショアモデル」の挫折
全虎男 代表取締役
ミャンマーにウィッツテクノロジーが着目したのは、同国の若い技術者が最先端の技術を貪欲に採り入れ、「彼らの自由な発想でソフトウェアやサービスをつくりだしている姿を目の当たりにした」(全虎男代表取締役)ことがきっかけだった。ミャンマーの情報サービス産業は、ASEAN主要国のなかでも後発に甘んじているが、それだけに既存のレガシー資産にとらわれず、FinTechやAI、IoTといった最先端の技術をすんなり受け入れる土壌がある。こうした成長国ならではの特性を既存ビジネスに取り込んでいくことで、成長につなげていく。
ウィッツテクノロジーは、全代表取締役が中心となって2006年に都内で創業したSIerで、創業当時からアジア・グローバルを志向してきた。全氏自身が中国出身ということもあり、創業の翌年には中国・青島市に開発拠点を立ち上げ、当時、まだ人件費が割安だった中国でのオフショアソフト開発をスタート。今から10数年前は、中国オフショアが全盛期で、創業まもないにもかかわらず、割安で品質の高い中国オフショア開発を必要とする大手SIerやユーザー企業から仕事の依頼が相次いだ。「あまりにも多くの仕事が押し寄せて、請けきれないほどだった」と振り返る。
順風満帆のようにみえた起業だったが、08年に起こったリーマン・ショックで「中国オフショアモデル」は脆くも崩れ去る。中国はリーマン・ショックの影響を最小限にとどめるために内需拡大に大きく舵を切り、中国の人件費は高騰。日本のソフト開発も大型案件が次々と凍結されて、オフショアに出すほど受注を確保できなくなってしまう。やむを得ず開設したばかりの青島開発拠点を手放し、会社存続のため「全社員の総力を挙げて技術的に難易度の高い仕事に狙いを定めて受注活動に奔走する」ことになる。
ミャンマーを研究開発の拠点に
起業当初は「中国オフショアモデル」が絶好調だったこともあり、全代表取締役は中国から優秀な技術者を多く日本に呼び寄せることができた。日本人の創業メンバーの力も借りて日本国内でも人材確保に努めており、こうした人材層によって、流通・サービス業の顧客向けの非常に難易度の高いシステム開発を成し遂げ、リーマン・ショックの経営危機から脱することに成功。しかし、創業時から目論んでいた「中国オフショアモデル」は完全に破綻してしまい、ビジネスモデルを再び練り直す必要に迫られる。
この頃、ミャンマーの民政移管に伴う経済開放が始まり、また偶然にも、社員のひとりにミャンマー出身者がいたことから、ミャンマーを訪問する機会に恵まれる。ミャンマーに足を運んで全代表取締役が見たものは、まさに急成長し始めようするかつての中国の姿だった。中国オフショアモデルの挫折の教訓から、ミャンマーではオフショア開発を中心に据えるのではなく、「ITの新領域を開拓する研究開発拠点」(全代表取締役)と位置づけ、拠点開設にこぎ着けた。
対外オフショアソフト開発の比率が高かった中国が、内需に立脚した独自のIT文化・経済を開花させていったように、アジア成長国も成長国ならではのIT活用が進んでいる。成長国のITビジネスを「日本国内だけで考えるのは難しい」ことから、ミャンマーの若い技術者を中心にアジア成長国向けのITサービス、あるいは訪日アジア人旅行客向けのサービス開発に努めることで、旧来のオフショアではない新しいかたちの「アジア多国間ビジネス」を立ち上げていく方針だ。