旅の蜃気楼

『菜の花の沖』に遊ぶ

2006/03/20 15:38

週刊BCN 2006年03月20日vol.1130掲載

【能登発】いま能登半島の穴水は「いさざまつり」の真っ最中だ。人に薦められるがままに、司馬遼太郎の『菜の花の沖』を読んだ。ページを重ねるうちに、主人公に感情を移入しすぎて、大海原を駆け巡る夢を見るようになった。子供じみているが、今でもそんな気分を楽しんでいる。本代でことが済むから安上がりだ。さて、主人公の高田屋嘉兵衛は函館の街づくりをし、そこを拠点にロシアに抜ける北の航路を開拓した。船乗りから船頭になり、廻船問屋を経営し、北洋漁業で大成功を納める。高田屋嘉兵衛はそんな男だ。

▼鎖国政策によって、江戸時代の和船は外航に不向きな造りになっていた。大海原では心細いほどの帆掛け舟だ。あえて船の進化を取り入れないという技術鎖国であった。そんな船であっても日本海をミズスマシのように航行する嘉兵衛の姿は実に爽快で、会って話がしたい人だ。その当時、港の人たちは“入船”といって、船が入港することを心待ちにした。船には生きる糧が積まれているからだ。災害援助物資の運搬船のようなものだ。今では“入船”の言葉も死語に近い。が嘉兵衛の時代の“入船”とはネット時代における“アクセス数”のようなものだ。

▼“入船”の気分を味わいたくて、日本海に面した港に行くことにした。金沢から電車に乗って、終点の穴水駅で下車。能登半島の東側、くの字のあたりだ。ひっそりした駅前の旅行社で、旅館をとった。由緒ある長谷部神社の裏山に登った。入り江を眺め回したが、嘉兵衛の“入船”はなかった。夕食は名物の牡蠣フライ。小粒なそれにソースをたっぷりかけて食べた。廻船問屋時代を終え、首都が京都から東京に移り、戦後を終えて能登はますますひっそりした。穴水のいいところは何か、と神社の人に聞いた。「何もないところです」と。思わずふたりして笑ってしまった。能登空港が2003年7月7日、開港した。1日2便のANAが羽田空港とつながった。空の港だ。地元の人が東京見物をすると、往復で4000円のおこづかいが出る。「去年は浅草に行った。今年も行きたい」と。いま穴水は「いさざまつり」の真っ最中。いさざとは白魚だ。踊り食いでもいかが。(BCN社長・奥田喜久男)
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