北斗七星

北斗七星 2008年6月23日付 Vol.1240

2008/06/23 15:38

週刊BCN 2008年06月23日vol.1240掲載

▼秋葉原通り魔事件の2日前、この街の顔と慕われた叩き上げの経営者が息を引き取った。「本多のおやじさん」こと本多弘男さん。64歳だった。20歳で電器パーツの商社を創業。倒産の憂き目に遭いながらも再起し、2000年にぷらっとフォームを東証マザーズに上場させた。

▼本多さんが一番輝いていたのは、90年代の後半だ。米国に買い付けに出かける時は飛行機のファーストクラス。当時、旅客荷物の重量制限がなかったことに目をつけて、1000万円以上のソフトを山積みにして航空会社に店まで運ばせた。そんな型破りな言動が似合う人だった。秋葉原が世界の電気街へと成り上がってきた時代の匂いを感じさせる最後の経営者だったかもしれない。

▼この街は戦後日本の社会の進化と密接に結びついてきた。闇市時代の真空管から始まり、パソコンやネットの時代に至る情報社会の変革を裏側から支え続けた。だからこそ名だたる企業の技術者や大学の研究者が、秋葉原の小さな店に教えを乞うて集まった。あの頃の野放図なまでの熱気はずいぶん遠いものになってしまった。

▼今回の通り魔事件でやりきれないのは、社会との接点を失った精神の荒廃が、今という時代を象徴しているように思えることだ。おやじさんが健在なら、その舞台に秋葉原が選ばれたことを誰より嘆き悲しんだことだろう。かつてマニアの梁山泊であったぷらっとホームの旧店舗の前には、今も犠牲者に手向けられた花束が積まれている。
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