旅の蜃気楼

目の奥底にある“心”を信じて

2009/01/05 15:38

週刊BCN 2009年01月05日vol.1266掲載

【本郷発】1995年、阪神淡路大震災の3週間後に、神戸市内を訪ねた。友人は僕の顔を見つけるなり、「おっ」と声を掛けた。そして、目をじっと見つめた。恥ずかしかった。電車はまだ動いていない。市内に入るずっと手前の駅で降りて歩いてきた。道すがら、震災の被害は次第にひどくなり、瓦礫のあちこちに、花が活けてあった。その数が次第に増えるものだから、涙を流しながら歩いてきた。最初はハンカチで目をぬぐったが、歩くたびに、溢れ出る。鼻水も流れ出た。もう、拭うのをやめた。きっと顔が、ぐしょぐしょだっただろう。

▼友人の名は西垣公博君。21歳の時にお互いに心を掴み合った。彼とは電波新聞の内定の時からの友人で、一緒に大阪市内の電器店を、毎日歩いて新聞を売り歩いた仲間だ。1970年8月の学生生活最後の夏休み40日間は、新聞の拡販に明け暮れた。暑かった。新聞と書籍、購読申し込み用紙と領収書、印鑑と地図に赤ボールペン。これを鞄に詰めて肩に背負う。重かった。1日30軒。前もって地図に記した電器店のマークを目指して歩いた。

▼彼とチームを組んで、新聞の拡販を競った。新聞販売では1日4部拡販すると、「ホームラン」という。ある日、彼が「取ったぞ!今日はホームランだ」と勢い込んで事務所に帰ってきた。その日、僕はホームランを二つ取っていた。彼は地団太踏んで悔しがった。そして、「キミはすごい」といって、褒めてくれた。彼は僕の目をじっと見た。その眼差しは深い心に根ざしていた。その瞬間から彼の人となりを信じた。神戸市内にあった彼の家によく遊びに行った。その家は震災で瓦礫となっていて、彼は「ここが家だ」と指をさすが、僕には分からなかった。彼はそれから後、人が変わったように家族を護った。だが、今はもう彼はいない。早い旅立ちだった。

▼驚くほど、何もかも失ってしまうことがある。そんな時、人は、本心に従う行動をする。丑年の私は年明け2日に還暦を迎えた。今はまさにバンジージャンプのごとく急降下する経済環境にある。これまで目の奥底にある心を信じて生きてきた。これからも変えない。(BCN社長・奥田喜久男)
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