【秩父発】気配はふとした時に感じる。雨が降った翌日のこと。ここ秩父の日和田山の登山道はまだ雨に濡れている。滑らないように注意して登山靴を傾斜した道に置く。木の根っこがいちばん危ない。雨水を含んで光った根は、慎重を期してもつるっとやってしまう。雨山行の下り坂ともなると、冷や汗をかくことしばしばだ。登り坂はそれに比べると楽だが、汗がどっと噴き出してくる。2時間も歩くと、いつの間にかすっきりした汗になる。塵芥が体内から流れ出た感じだ。

▼樹林帯に朝の日差しが入る。一面が、水を含んだ、まだら模様の光景になる。きらきらして美しい。左手の方角で鳥の声がした。「キキッ」。その瞬間、亜熱帯雨林の気配を感じた。ボルネオ島にあるキナバル山を登った時の気配を思い出した。そんな気配はふとした時にやってくる。知り合いに誘われて、お茶席に出向いた時のことだった。お手前は裏千家。難しい作法はお許しを願って、和菓子と薄茶を楽しんだ。お茶席ではいろんな和菓子が出る。味わいは千差満別だ。いろいろな味から和菓子職人を勝手に思い描くのが楽しい。薄茶は目の前でお手前が始まっている。お茶はなんだか、空想遊びのようだ。

▼一通りの作法を終えて、しびれた足を戻しながら、その日のお道具を眺める。時代を超えて、生き残った道具に出会うのはお茶席の楽しみのひとつ。焼き物は好きだ。茶碗を持ち上げ、はるか時代を超えた人の手に、今を生きる自分の手を重ねるのは楽しい。脇のほうに、茶せんが束ねてあった。「由緒あるものですか」「裏千家宗家の作った代々の茶せんです。並べてみますか」。まずは利休が作ったもの。これが2代目の宗淳。ずらり千利休から現在の宗家まで16本が並んだ。窓から差す明かりで茶せんに陰影ができた。徳川は140年前に第15代で時代を終えた。なんと短命な将軍たちがいたことなんだろうか。千利休、1522年生まれ。徳川家康、1542年生まれ。裏千家は脈々と続いている。時代の気配をふと感じた。(BCN社長・奥田喜久男)