その他
ライブドア 平松氏、苦渋の新社長就任
2006/01/30 21:10
週刊BCN 2006年01月30日vol.1123掲載
「4番でピッチャーだった。業務の執行で大きな力を発揮したが、そこに問題があった」──ライブドアの執行役員社長に就任した業務ソフトベンダー、弥生の平松庚三社長は1月24日、都内で開いた記者会見で、堀江貴文・前社長の旧体制をこう評した。ライブドアは、業務執行をオペレーションする「経営委員会」を設置し、委員長に平松氏が着任、新任の熊谷史人・代表取締役がこれを監視する新体制に移行する。執行と監督を区分けし、権限を分散するが、事実上、平松社長がライブドアのトップとして矢面に立つ。(谷畑良胤●取材/文)
弥生と本体の混乱収拾へ決断
会見に臨んだ平松新社長の顔色は、優れなかった。前日から続いた徹夜の経営会議。その表情からは、余波に揺れる弥生の舵取りだけでなく、一連の混乱収束のために「殿軍(しんがり)の将」を受けざるを得なかった苦渋が読みとれた。
1月16日に東京地検特捜部の強制捜査を受けてから、ライブドアの株価が下げ止まらないだけでなく、業績が堅調だったグループ子会社の業務にも支障が生じている。新体制は、経営の空白を回避するための緊急措置だ。「新生ライブドア」を前面に打ち出すことで、事態の収拾と危機の回避を目指す。平松社長は、「新しいチームをつくり、会社を成長させること」としたうえで、「コンプライアンス(法令遵守)とコーポレートガバナンスを重視し、ルールがあっての成長を目指す」と、長期的な視点で経営建て直しの陣頭指揮を執る覚悟を示した。
ライブドアに強制捜査が入る1か月前、BCNのインタビューで平松社長は、ライブドアグループと弥生の相乗効果を語っていた。パソコン量販店などのPOPでは、「堀江社長は、弥生会計で起業した」との看板を掲げたが、「この効果は絶大だった」(平松社長)と、認知度向上の原動力として〝ホリエモン〟効果に期待した。
しかし、今回の事件は、そうした構想を一夜にして打ち砕いた。弥生の全株式はライブドアが保有し、登記上別法人とはいえ、ライブドアの100%子会社として一事業本部に組み込まれている。ライブドアの執行役員という社会的な責任もさることながら、弥生を守るには、本体自体の再生に取り組まざるを得ないというのが、平松氏の決断だった。
ライブドアの熊谷代表取締役は、平松社長の社長起用の理由について、「弥生をここまで大きく成長させるなど、人生経験、社長経験の豊富さをかった」としている。周囲に押し出されトップに立った新社長は、弥生をはじめ、金融、モバイル、コマース、中古車販売など、ライブドアグループの9つの事業を統括する責任者として手腕が試されることになる。
弥生は、1月23日に出荷を始めた会計ソフトの新製品「弥生会計06確定申告版」に合わせて、堀江前社長をキャラクターにした全国の店頭POPを一斉に撤去した。同社では、「旧POPの撤去は、新製品の投入に合わせた既定の販促プログラムで、今回の事件とは関係ない」としているものの、現在の弥生が置かれている立場を象徴しているようにもみえる。
「今までもライブドアから経営的な指示や指導はなく、自分たちの力で業務ソフトビジネスを伸ばしてきた。そうした意味では、これまで通りの事業展開に専心するだけだ」。平松新社長の就任決定に揺れた24日午前、人気のないライブドア受付フロアの一室で、弥生の相馬一徳取締役は絞り出すように語ると、唇を固く切り結んだ。
取材ノートが捉えた6年の軌跡
堀江貴文氏 その才を惜しむ
取材記者として、堀江貴文氏と出会ったのは、1999年だった。
すでに起業から3年。業界の注目を集めるウェブ制作会社の経営者に成長していた。99年11月25日、当時、ビットバレーと呼ばれていた東京・渋谷のITベンチャー業界で評判だったオン・ザ・エッヂ(創業当時の社名)に初めて足を運んだ。色とりどりのLANケーブルが張り巡らされた小さなオフィス。雑然とした社内からは、後に金融業に進出して先行するヤフーや楽天を猛追し、プロ野球団や大手テレビ局グループを相手に買収を仕掛ける姿は、まったく想像できなかった。
技術者1人あたりの月額単価で受注価格を決める人月方式でのソフト開発では「技術者は育たない」と、創業当時から技術者の成功報酬型を導入した。社内で開発されるソフトウェア部品に独自の値付けをし、価値の高いソフト部品を開発した技術者に高い報酬が支払われる仕組みをつくった。技術者のモチベーションを高めるだけでなく、ソフトの部品化によって納期も短縮した。合理的で効率の良い仕組み、技術本位のすばらしい会社だと思った。
しかし、普通の中小ソフト開発ベンダーとは違う側面も持ち合わせていた。資本力に対する執着だ。株式公開を目前にした00年3月のインタビューでは、「資金さえあれば、人の寿命を300年に伸ばしたり、宇宙旅行もできる」と豪語。宇宙へ行くのは海外の宇宙船をチャーターすればいい、最先端の医学をカネで買えば寿命を延ばすことも可能だと考えていた。「殺人や戦争など残虐性に走る少数の人間がいるから倫理や道徳、慣習などがあるわけで、そういう殺し合いさえ防げば、旧来の因習に縛られる必要はない」と、既存の枠組みにとらわれない大胆な発想で周囲を驚かせた。
00年4月、東証マザーズに株式上場。「資本力さえあれば、独自のビジネスを展開できる。そういう段階にきた。技術と資本を提供できる企業になる」と宣言する。上場前後から企業買収にも手を広げた。「上場すれば、売上高の伸びが前年度比1・2倍とか1・3倍とかじゃ許されない。2倍、3倍に伸ばさなきゃならない。大きなプレッシャーだ」。ある時、記者に向かって、独り言のようにつぶやいた。
堀江貴文という経営者から、コツコツと技術を積み上げる姿勢が薄れ始めたのは、この頃からだ。代わって表面に表れてきたのが、株価をベースにした資本力拡大への執着だった。
ここで何かが違った。リナックスをベースにした基本ソフト「リンドウズOS」の国内代理店を手がけた03年頃、「メディアに話題を提供すれば、巨額の広告費をかけなくて済む」と、次々に新しいメッセージをマスコミに投げかけ、株価も上昇した。
競馬が好きで、高価な馬主の権利を「株価が高ければ株を売って買えるし、月給でも買える」と、資本力が高まることを純粋に歓迎した。〝技術よりも資本〟が優先していった。ライブドアへ社名変更した04年以降は、プロ野球団の買収に名乗りをあげるなど、技術者を大切に育てるソフト開発ベンダーの面影は完全に消えた。そして、際限のない膨張路線へと突き進む──。
「300年生きられるとしたら、100年働いて、100年休んで、また100年働くのもいいな」。00年のインタビューで、無邪気にそう話していたのが印象に残っている。堀江さん、公開企業の経営者として、一連の問題はやはり許されることではない。しかし、しばらく休んで頭を冷やし、以前のように小さい世帯ながらも、社員を大切にし、優れた技術を育てるベンチャーからやり直すのも捨てたものじゃないと思う。(安藤章司)
「4番でピッチャーだった。業務の執行で大きな力を発揮したが、そこに問題があった」──ライブドアの執行役員社長に就任した業務ソフトベンダー、弥生の平松庚三社長は1月24日、都内で開いた記者会見で、堀江貴文・前社長の旧体制をこう評した。ライブドアは、業務執行をオペレーションする「経営委員会」を設置し、委員長に平松氏が着任、新任の熊谷史人・代表取締役がこれを監視する新体制に移行する。執行と監督を区分けし、権限を分散するが、事実上、平松社長がライブドアのトップとして矢面に立つ。(谷畑良胤●取材/文)
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