「全治3年」「リーマン・ショックの半分くらいのダメージ」と、野村総合研究所(NRI)の此本臣吾会長兼社長はコロナ禍の経済的なダメージを見積もる。2020年、同社は国内で集団感染が見つかるや否や、特別予算を組んで研究員を総動員。70本近い「新型コロナウイルス対策緊急提言」レポートを発表している。そこで見えてきたのは2~3年ほど前倒しで進んだデジタル化と、それによって新たな投資が誘発される副次的な効果だった。二度目の緊急事態宣言が首都圏などに出されるなか、社会・経済への影響や自社業績の見通しについて話を聞いた。
オンライン関連の投資が増える
――コロナ禍からの回復時期はいつ頃か。
ワクチンが一通り行きわたるまで一進一退の状況が続き、2021年中の経済の回復は間に合わないと見ている。22年中に完全回復するまでをコロナ禍だとすれば、「全治3年」ということになる。
野村総合研究所 此本臣吾 会長兼社長
――全治3年といえば、08年のリーマン・ショックとほぼ同じ期間だ。
リーマン・ショックのときは金融機関のクレジット・クランチ(信用収縮)が起きたため、ほぼ全業種に影響を受けた。今回は「モビリティ・クランチ(移動制限)」によって旅行業界や航空会社などを直撃した。ただ、コロナ禍の影響をあまり受けていない業界や、行動変容によって生まれた需要を取り込むことに成功した企業もある。ブレーキ一辺倒だったリーマン・ショックに比べて、コロナ禍はアクセルとブレーキを同時に踏んでいる印象を受ける。各種の経済統計を見る限り、ざっくりリーマン・ショックの半分くらいのダメージに収まるのではないか。
――情報サービス業界は、リモートワークに伴う業務の完全デジタル化、オンラインビジネスが勢いづくプラス要素もあった。
オンライン化に関する投資が増えたことは間違いないが、既存のソフトウェア関連投資を年度(21年3月期)で見るとマイナスになると予測している。当社の上期(20年4-9月)業績は、連結売上高では過去最高を更新するものの、営業利益は減益。通期も増収減益の見通しだ。
社会全体のデジタル習熟度が高まる
――11年の東日本大震災のときに、NRIの研究員を総動員して震災被害や電力不足の影響をリアルタイムで調査したのに続き、今回のコロナ禍でも初期の段階から調査活動を行っている。どのようなことが明らかになったか。
クルーズ船の集団感染が発覚した直後から特別予算を組んで、経済や公共政策、生活者、経営、産業、海外などのテーマ別に70本近い「新型コロナウイルス対策緊急提言」レポートを発信した。そこで浮き彫りになったのは、リモートワーク、分散ワークに対する社会全体の習熟度の飛躍的な高まりだ。
分かりやすい例を挙げると、金融機関の富裕層向けの営業は対面が基本。顔が見えて、人柄を感じてもらう昔ながらの営業スタイルが「オンライン営業で代替できるわけではない」と多くの人が思っていたが、実際にやってみるとできてしまった。富裕層は年齢が高めであるにもかかわらず、多くの人がオンラインツールを使いこなした。習熟期間はわずか数カ月だった。
――オンライン化の効果はどのようなものか。
当然ながらオンライン環境の整備に伴う新規のIT投資が増えることは、情報サービス業界にとってプラス効果がある。ユーザー企業にとってもオンラインをうまく活用することで、対面よりはるかに多くの顧客、市場にアクセスできるようになるメリットがある。先の富裕層向けの営業でも、全国各地の会議室を借りて、そこに投資に詳しい専門家を招いて行っていたセミナーをオンライン化することで、物理的な制限がなく顧客を呼び込める。オンライン化に舵を切ることで「あれも要る、これも要る」と投資を誘発する効果も期待できる。
海外も底打ち、中計目標は変えず
――NRIの主な海外進出先であるオーストラリア、北米はどうか。
オーストラリアで証券取引管理などのバックオフィス業務のITサービスを手がける会社を新しくグループに迎え入れ、当社が強みとする証券、金融分野に本格参入する。海外展開が長年の悲願だった当社主力の総合証券バックオフィスシステム「STAR」輸出の足掛かりを得た。また、既存の主要事業会社のASGグループは産業分野に強い。将来的に情報セキュリティなどIT基盤に強い会社や、地域に根ざした会社をグループに迎え入れ、よりバランスのとれた事業構成にしていきたい。
北米は主要顧客の航空会社やレンタカー会社がコロナ禍のダメージから回復するまで、経営リソースをオンライン領域を中心とした新規顧客の開拓に振り向け、収益確保に努める。海外事業全体の最悪期は脱しており、底打ち感がある。中期経営計画で掲げた22年度(23年3月期)海外売上高1000億円は変えない。目標達成に向けて突き進んでいく。
PROFILE
野村総合研究所 此本臣吾 会長兼社長
1960年、東京都生まれ。85年、東京大学大学院工学研究科産業機械工学修了。同年、野村総合研究所入社。94年、台湾・台北事務所長(のちに台北支店長)。2004年、執行役員コンサルティング第三事業本部長兼アジア・中国事業コンサルティング部長嘱託。10年、常務執行役員コンサルティング事業本部長。15年、専務執行役員ビジネス部門担当、コンサルティング事業担当。16年4月1日、代表取締役社長に就任。