エリート校に通うため10歳から生家を離れて寄宿舎で暮らした。「強いインドを支える優秀な人材」を育てる学校だった。中印国境紛争で劣勢に立たされた教訓から国の肝いりでつくられたエリート養成校だ。
大学時代のクラスメイトが相次いで欧米の企業や大学院へと進むなか日本企業に就職。日本の発達した製造業を学びたかったからだ。家族は反対した。
90年代半ば、インドは“ソフトウェアブーム”の真っ只中。ソフト開発産業が急成長していた。欧米のIT企業がインドへの投資を活発化。しかし、インドとの歴史的な関係が欧米に比べて乏しい日本の印象といえば「相撲とサムライ」。家族の反対も無理はなかった。
日本へ来て10年あまり。FA制御ソフト開発などの経験を積んだ。母国インドの大手ソフト開発ベンダー、サティヤムコンピュータサービスに入社してからは、戦略的パートナーの日立製作所のプロジェクトを任された。
分かったことは「売り上げを伸ばしてコストを下げれば必ず利益が増えるビジネスの原理原則」。ソフト開発でインドでオフショア開発を行えばコストが下がる。周囲を見渡せば中国での開発は活発だがインドではまだ少ない。「中国に比べればインドは遠い。わたしが相撲とサムライしかイメージしなかったように、多くの日本人もインドといえばカレーとガンジス川を思い浮かべるのでは?」
ただ時代は変わる。「米国の道路には日本車が当たり前のように走る。最初は違和感があったに違いない」。遠くない将来、インドのソフト開発企業との提携やM&Aが進み「インド製のソフトが当たり前のように日本で使われる」と確信する。ビジネスの拡大はグローバル化によってもたらされる。
プロフィール
ラジクマール・ラジャゴバラン
(ラジクマール・ラジャゴバラン)1971年、インド・タミルナードゥ州生まれ。94年、アンナ大学電子工学部卒業。95年、愛知県の中堅セラミックメーカーに就職。生産設備の制御ソフトの開発に従事。99年、静岡大学大学院修士課程(システム工学)卒業。同年、ファクトリーオートメーション(FA)を専門とするソフト開発ベンダーの日本デルミア入社。06年1月、インドの大手ソフト開発ベンダーのサティヤムコンピュータサービスに入社。現在に至る。同社のグローバルでの昨年度(06年3月期)連結売上高は前年度比36%増の1267億円、純利益同38%増の259億円と急成長している。