超高齢化社会の現実 「在宅医療・介護情報ネット」がカギを握る
団塊の世代の年齢が65歳を超えている現在、日本の高齢者人口は2936万人、高齢化率は23.1%に達している。さらに10年後の2025年には本格的な介護が必要になってくる75歳を超える。高齢化率は30%を上回り、超高齢化社会は一段と進む見込みだ。病院や診療所、介護施設の数は限られているので、増え続ける高齢者をすべて受け入れることは極めて難しい。そこで打ち出されたのが「在宅医療・介護情報ネットワーク」だ。
●医療ネットとの親和性は低い 「在宅医療・介護情報ネットワーク」は、厚生労働省の「地域包括ケアシステム」の考え方に沿ったもので、医師や薬剤師、看護師、介護士、家族など、高齢者の在宅医療・介護に必要な人材や組織をネットワークで結ぶ仕組みだ。ここで重要なポイントは、前出の「地域医療ネットワーク」とは、別のネットワークを在宅医療・介護のために構築するという点である。
地域医療ネット構築の初期には、このネットワークで在宅や介護までカバーできる可能性を指摘する意見もあったが、実際に地域医療ネットを運用してみると「病院や診療所の医師・看護師が扱う情報と、介護士や家族が必要とする情報の違いがあまりに大きくて、同じネットワーク上では扱えない」(大手ベンダー幹部)、あるいは「医師は基本的に電子カルテの情報を、医師や看護師以外には見せたがらない」(別のベンダー幹部)、「医師や看護師が扱う情報は専門的すぎて介護士や家族には理解しにくい。単語を自動変換するツールが別に必要になるほど難解だ」(ベンダー関係者)と、地域医療ネットと介護との親和性の低さを実感する声が相次ぐ。
わかりやすくいえば、地域医療ネットは医師や看護師による専門用語や数字が羅列されるのに対し、在宅医療・介護は「今日は起き上がって部屋の中を少し歩いた」「今朝は妄言が多かったが、昼過ぎには同居する息子の顔を認識できた」など、記述的である傾向が強い。
●ブルーオーシャンに舵を切る ITベンダーからみれば、在宅医療・介護ネットは新たなビジネスチャンスになる。電子カルテで富士通やNECに大きく水をあけられた日立グループは、在宅医療・介護ネットの受注に意欲的だ。日立製作所の社内カンパニーのヘルスケア社グループの中核事業会社である日立メディコは、グループと連携して、この7月1日から「地域包括ケア支援自治体クラウド」サービスを始めた。茨城県笠間市での試験導入をベースに開発したもので、地域の高齢者向け医療・介護体制を支援し、情報共有の基盤サービスとして全国展開を推進する。
日立メディコの渡部滋・メディカルITマーケティング本部本部長は、「在宅医療・介護の情報化はまだこれからの分野。日立ヘルスケアグループが一丸となる“One Hitachi”戦略により、向こう数年でトップシェアを獲得していきたい」と、大病院向けの電子カルテで富士通やNECと消耗戦を続けるのではなく、在宅医療・介護というブルーオーシャンに舵を切っていく考えだ。今年4月に新設されたヘルスケア社を軸に、日立メディコなど、主要な事業部門が一体となって営業展開していくことで、ライバルに対抗していく。
日立グループが在宅医療・介護ネットを注視する背景には、同ネットの運用形態がこれまでの地域医療ネットとは異なる点も見逃せない。地域医療ネットを運用するネックの一つになっていたのが、「誰が費用を負担するのか」だった。結果として経営体力のある中核病院が主な費用を担うことで運用するケースが多く、これが普及率向上の足かせになっている。だが、在宅医療・介護ネットの場合、「運用費用の主な負担者は、自治体になる公算が大きい」(日立製作所ヘルスケア社の光城元博・ヘルスケア事業本部企画部部長代理)とみられる。日立グループは自治体ビジネスに強いことから、自治体営業の一環として在宅医療・介護ネットに関わる提案を強化していく。

日立メディコの渡部滋本部長(右)と日立製作所ヘルスケア社の光城元博部長代理在宅医療・介護情報ネットワークの「あるべき姿」
在宅医療・介護情報ネットワークとは、在宅医療と介護の情報連携を実現するシステムを指す。図のように本人がA市とB市を行き来するケースでは、従来の仕組みではA市での情報をB市では生かせない。在宅医療・介護情報ネットを整備することによって、B市の医師や介護士がA市での情報を参照しつつ、治療方針を立てたり介護プランを考案したりする。さらにA市に住む長女が、普段、自分の母親が次女のB市でどのような介護を受け、どのような容態なのかをネット上で参照できるようになれば、家族同士の連携もしやすくなる。自治体は健康保険や介護保険などの保険者であり、増え続ける医療・介護費の伸び率を少しでも抑えたい。地域や家族が一体となって情報を共有することで、重症化を未然に防いだり、遅らせたりできれば、それだけ自治体の負担も減ることになる。
販売パートナーの動き
日本事務器 在宅医療・介護に狙い
キヤノンITSメディカル 診療所向けで2倍の伸び
NECや富士通など、大手ベンダーには、多数の販売パートナーが存在する。医療ITビジネスでも同様であり、パートナーは国やベンダーの戦略を巧みに採り入れて、自社のビジネスを伸ばしている。
NECのパートナーでヘルスケア事業でも常にトップクラスの実績を誇る日本事務器は、在宅医療・介護情報ネットワークへの取り組みを加速している。同社はNECの地域医療ネットワーク「ID-Link」を積極的に展開してきたパートナーでもあり、この実績を足がかりに「在宅医療・介護ネットでも、NECと連携して推進していく」(青木高宏・医療・公共ソリューション販売推進部部長)と明言する。在宅医療・介護ネットと地域医療ネットは、別のネットワークではあるものの、一部情報は緩やかな連携=疎結合する見通しであることから、地域医療ネットのノウハウを生かすことができると踏んでいる。

日本事務器の青木高宏部長(右)と石田剛マネージャー
在宅医療や介護では、従来の病院内の電子カルテなどのシステムとは異なり、訪問先での情報参照が欠かせない。日本事務器はスマートデバイスを全面的に採り入れて、さらに医療や介護従事者が簡単に情報共有できるようなクラウドサービスを駆使することで「地域医療ネットよりも、一段と“非定型データ”を扱いやすい仕組みにする」(石田剛・ヘルスケアソリューショングループマネージャー)考えだ。営業現場で活用されているSalesforceの在宅医療・介護版とでもいうべき、非定型の文書対応能力が高いクラウドサービスをイメージしている。

キヤノンITSメディカル池下卓男
取締役 一方、富士通の診療所向け電子カルテのトップセラーであるキヤノンITSメディカルは、2013年の診療所向け電子カルテの納入件数が前年比2倍近い110件ほどに増えた。ここ数年の年間納入件数は50~60件で推移していたことを考えると大幅な伸びで、「限られた人的リソースで、ヘルプデスクの充実や遠隔保守、帳票類の徹底したテンプレート化などによってなんとか対応している状況」(池下卓男取締役)と、受注の大幅な増加にうれしい悲鳴を上げる。今年も昨年同様の高い伸び率を目指す。
販売が好調なのは、全国およそ10万施設の診療所の“代替わり”が要因として挙げられる。先代が引退したのを機に、若手医師が開業するという情報をいち早く掴み、電子カルテを提案する。勤務医時代から電子カルテを使い慣れている若手医師は、「ほぼ8~9割方、電子カルテをご購入いただける」(池下取締役)といい、病院で使っていた電子カルテが富士通製だった場合、その敷居はさらに下がる。開業情報の入手方法はキヤノンITSメディカルのなかでもトップクラスの企業秘密。まさに地域に根ざした情報戦で優位に立っている。
記者の眼
多い課題に知恵くらべが続く
医療ITビジネスは、従来の電子カルテ中心のビジネスから、地域ぐるみの情報連携ネットワークへとすそ野が広がりつつある。病院と診療所などを連携させる地域医療ネットワークも、普及率はまだ3割程度ではあるものの、いま一歩、比率を高めていくには「アプローチの方法を変える」(NECの齋藤直和・医療ソリューション事業部事業部長代理)必要がありそうだ。
また、今後本格的に立ち上がる見通しの在宅医療・介護情報ネットワークは、これまでの地域医療ネットとは質が異なる部分があり、使い勝手の向上など、ITベンダーの取り組むべき課題は多い。ヘルスケア領域は国内で数少ない“有望市場”であるだけに、主要ベンダーによる知恵くらべが当面続きそうだ。