次世代のコンピュータとして開発競争が過熱している量子コンピュータ。カナダのD-Wave Systemsが量子コンピュータをいち早く製品化したが、ビジネスシーンで広く活用されるようになるには、まだ時間がかかると思われていた。ところが、その流れは大きく変わるかもしれない。注目のプレイヤーは国産勢だ。量子コンピュータが抱えがちな課題を独自技術で克服し、IoTやAI(人工知能)といった分野での適用を進める。ビジネスシーンでの活用は、もはや未来の話ではない。(取材・文/畔上文昭)
量子コンピュータへの期待
量子コンピュータに対する期待は、既存のコンピュータにおける処理能力の向上に限界がみえてきたことで大きくなったとされる。なかでも、半導体の集積密度について唱えた「ムーアの法則」の限界説が台頭してきたことが、新たな仕組みが必要とのムードを高めた。
ただし、量子コンピュータが従来のコンピュータの代替になるわけではない。というのも、従来のコンピュータで十分な処理が多いうえ、現時点では量子コンピュータが単純に上位互換とはならないからだ。米IBM Researchで量子コンピュータを担当するロバート・スートル・バイスプレジデントは、「すべてが量子コンピュータに代わるのではなく、従来のコンピュータと一緒に、ハイブリッド環境で利用される。従来のコンピュータが得意とする分野は多い。また、量子コンピュータでは、従来のコンピュータとは異なる技術が要求される。どう利用するかは、これから考えていかなければならない」としている。現時点では、量子コンピュータは活用シーンを選ぶというわけだ。
アニーリングと量子ゲート
量子コンピュータは、「量子アニーリング(焼きなまし)方式」と「量子ゲート(論理回路)方式」の大きく二つに分けられる。従来のコンピュータは論理回路を用いるゲート方式であることから、量子ゲート方式はその上位互換とされる。量子ゲート方式を採用する量子コンピュータが、汎用量子コンピュータや万能量子コンピュータと呼ばれるのはそのため。ただし、量子ゲート方式の実用化に向けた道のりは長い。東北大学大学院情報科学研究科応用情報科学専攻の大関真之准教授は次のように説明する。「量子ゲート方式は、これまでのコンピュータにできたことは、すべて処理できる。ただし、それは理論上の話で、まだ有効なアルゴリズムがなく、使い方もみえていない。現状をみる限り、実用化には、この先20年はかかる」。
そこで、量子アニーリング方式を採用するアニーリングマシンということになる。アニーリングを意味する「焼きなまし」は、熱した金属は、急に冷やすよりもゆっくり冷やしたほうが固くなるという金属加工に用いられる用語。それを数学的に表現したのが、量子アニーリング方式である。
量子アニーリング方式の強みは、有効なアルゴリズムが存在し、それがIoTやAIに応用できるところにある。そのため、現時点では量子アニーリング方式が、ビジネスシーンでの量子コンピュータ活用という意味ではリードしている。
いち早く製品化したのは、カナダのD-Wave Systemsだ。2011年に製品化に成功し、米グーグルや米航空宇宙局(NASA)などで採用されたことで知られる。ただし、同社のアニーリングマシンは、量子コンピュータと同様に、計算に使用する量子を超伝導回路で実現しているため、大がかりな設備が必要となる。というのも、超伝導回路にはニオブという金属を使用しているが、それを超伝導状態にするには絶対零度(‐273.15℃)近くまで冷やす必要があるからだ。超伝導とは、電気抵抗がゼロになる現象を指す。超伝導回路では、回路にリングを用意し、そこを走る電流の向きで量子ビットを実現している。電気抵抗がゼロになることで、違う向きの電流が共存でき、「0」と「1」の重ね合わせの状態という量子コンピュータの世界を実現しているのである。
超伝導回路の課題は、巨大な冷却装置が必要になるところ。運搬が容易ではなく、設置可能な場所も限られるため、このままでは一般的に普及するのは難しい。また、超伝導回路で量子状態を保つ「コヒーレンス時間(量子を計算に使用できる時間、量子状態時間)」が1秒以内というのも課題。コヒーレンス時間の間で、計算を終えなければならない。
こうしたなかで注目されているのが、超伝導回路ではなく、デジタル回路を採用したのが富士通のアニーリングマシン「デジタルアニーラ」である。本稿の執筆時点では、まだサービスが開始されていないものの、4月か5月にはクラウド型で提供され、年内にはオンプレミス版として、ハードウェアが提供される予定である。
デジタルアニーラは、従来のコンピュータと同様のデジタル回路であるため、一般的なサーバールームやデータセンター(DC)に設置でき、安定して使えるところが最大の強み。量子コンピュータのブームに乗った製品だが、“量子コンピュータではないアニーリングマシン”というところがポイントとなる(図1)。
デジタル回路で高速処理
アニーリング方式が得意とする計算は、「組み合わせ最適化問題」で、その代表例として知られているのが「巡回セールスマン問題」。多くの都市を巡回するにあたって、最短ルートを求める計算である。例えば、5都市を巡回するルートは120通りのパターンがあり、そのパターンから最短距離を求める。それが、10都市となると約362万通り、20都市なら約234京通りというように、指数関数的に計算パターンが増えていく。30都市では、1京×1京通りのパターンを計算しなければならず、スーパーコンピュータ「京」で計算するには、実に8億年の計算時間が必要となる。これを瞬時に計算するのが、アニーリング方式の量子コンピュータである。デジタルアニーラでは、30都市を巡回する最短ルートを1秒以内に計算するという(図2)。
巡回セールスマン問題は、「イジングモデル」で表現することができる。イジングモデルとは、「0」と「1」の状態をもつものを格子状に並べたものをモデル化したもの。巡回セールスマン問題のイジングモデルでは、訪問する都市の相関関係を考慮しながら、組み合わせを計算して最短経路と思われる解を求める。つまり、アニーリング方式ではすべてのパターンを計算するのではなく、都市の相関関係を考慮しながら、もっともらしい答えを出す(図3)。その意味では最短経路とは限らないが、瞬時に計算が終了するため、何回も実行することで、確からしい答えを求めればよい。
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