「SAP ERP」のユーザーにとって、基幹システムの刷新は待ったなしの状況になっている。SAPは標準サポートの提供期限を2025年までとしているからだ。新製品の「SAP S/4HANA」に移行するのか、あるいはSAP製品以外の選択肢を検討することになるのか。このERPの「2025年問題」が市場に与える影響を探る。(取材・文/本多和幸)
SAP ERPのサポート期限切れが
市場に影響を及ぼす理由
ERP製品のデファクトスタンダードとして市場に浸透した「SAP ERP」(旧称「R/3」)、SAP ERPにさらにいくつかのビジネスアプリケーション群を備えた「SAP Business Suite」といったSAPの従来主力製品は、25年に標準サポートが終了する予定だ。これがなぜ、「2025年問題」などと大げさに取りざたされるか、まずは改めておさらいしてみる。SAPの最新ERP製品にアップデートすれば済む話ではないかと考える人もいるかもしれないが、事はそう単純ではない。SAPの最新ERPであるS/4HANAは、「従来製品の後継製品ではない」とSAP側も明言しているとおり、デジタルトランスフォーメーションのコアとしての機能を担う次世代ERPと位置づけられており、HANAを新たな基盤としてまったく新しくつくられた製品だ。そのため、SAP ERPからS/4HANAへの移行には、単純なソフトウェアのアップデートの比ではない、新たな製品へのマイグレーションと呼んでもいいような大きな負荷がかかる。
その一例を挙げれば、S/4HANAは文字通り“HANAネイティブ”なアプリケーションであり、ERPの背骨を支えるデータベース(DB)も現状はHANAにしか対応していない。しかし、SAP ERPの既存ユーザーのほとんどはHANA登場前からのユーザーであり、「Oracle DB」や「Microsoft SQL Server」を採用しているケースが多い。つまり、彼らがS/4HANAを使うには、DBの移行が必須になるということだ。いずれにしても、SAP ERPのユーザーには、これからの自社の基幹システムをどうするのか、相応の投資と負荷が伴う判断が強いられることになる。競合のERP製品ベンダーやそのパートナーには、だからこそ「2025年問題」をSAPの顧客基盤を切り崩すチャンスだとみる向きもある。
Dynamicsが既存SAPユーザーの4分の1を奪取する?
日本市場でのプレゼンスを一気に高める好機に
Dynamicsビジネスで異彩を放つPBC
SAPジャパンは詳細を公開していないが、SAP ERPの既存ユーザー数は2000社以上といわれる。このうち4分の1にあたる500社を「Microsoft Dynamics」ERP製品(マイクロソフトはすでにERPという言葉を使っていないが、便宜上本記事ではERPと呼ぶ)に取り込むことができるとみるDynamicsの有力パートナーがいる。米マイクロソフトがDynamics製品を買収する前からDynamicsビジネスを手がけてきたパシフィックビジネスコンサルティング(PBC)だ。
同社の吉島良平・取締役戦略事業推進室長は、「既存のSAPユーザー約2000社のうち、1000社はSAPの製品を使い続けるだろう。しかし、残りの1000社は企業規模がSAP ERPにフィットしていないなどの理由で、他のERPに乗り換え得る層だ」とみている。その“潜在顧客”1000社のうち、半数の500社を獲得できるポテンシャルをDynamics ERP製品群に見出しているという。
Dynamicsは近年、ポートフォリオに大きな変化があった。CRMや、かつて「Dynamics AX」として提供してきた中堅・大企業向けのERPなどを統合し、包括的かつクラウドネイティブな業務アプリケーション群として再構築し、「Dynamics 365」というブランドを打ち出した。旧Dynamics AXの後継となる機能は現在、「Dynamics 365 Finance and Operations(FO)」として提供されている。
一方、Dynamics ERPにはもともと、AXのほかに中小中堅企業向けの「Dynamics NAV」という製品も存在する。ただし、Dynamics NAVはマイクロソフト自身がローカライズして提供するのではなく、グローバルでそれぞれの地域のパートナー企業が製品をローカライズするというユニークなエコシステムをもつ。PBCは日本のほか、東アジア、東南アジアの計5か国向けのローカライズを担ってきた。そしてマイクロソフトは今春、Dynamics NAVの機能を継承し、CRMと融合した中小中堅企業向けクラウド業務アプリケーション「Dynamics 365 Business Central(BC)」をリリース。PBCはこのDynamics 365 BCの5か国向けローカライズも行い、8月に提供を開始した。1ユーザーあたりローカライゼーション機能込みで月額7610円から使うことができる。
まずはDynamics 365 BCを市場に浸透させる
PBC
吉島良平
取締役
吉島取締役は、Dynamicsのシェア拡大に向けては、Dynamics 365 BCが重要な役割を果たすとみる。その理由については、次のように説明する。「大企業では、本社はSAPをやめずにS/4HANAに移行するパターンは多いだろうが、全ての拠点やグループ会社にS/4HANAを導入するのはコスト的にも現実的ではない。2層ERPモデルで海外現地法人や子会社にDynamics 365 BCを入れるというニーズは非常に大きいと考えている。オラクルのクラウドERP製品や国産ERP、そしてSAPが提供する『Business ByDesign』など、中堅規模の組織向けの2層ERPモデルに適した製品はいろいろあるが、グローバルビジネスに対応できるか、小規模な拠点やSMBでも導入可能なコスト感か、クラウドで使えてサブスクリプションモデルがあるか、といった観点で絞っていくと、Dynamics 365 BCと競合できる製品は見当たらなくなる。さらに、多くの業務の現場に浸透しているOffice 365との相性が圧倒的なのも大きいポイントだ」。
事実、NAVはすでにグローバル16万社で導入実績があり、本社でSAPを導入しているユーザーが2層ERPモデルを選択する際に採用される例は、SAPのお膝元であるドイツ国内でもよくみられるという。
また、「中堅企業の上位層などで、そもそもSAPが高いと感じていて、本社の基幹システムをDynamics 365 FOに移し、海外拠点はBCにしてDynamicsのハイブリッドで2層ERPモデルを構築するという事例がこの数か月で非常に増えてきている印象。これも有望なモデルだ」と吉島取締役は期待を寄せる。両製品はプラットフォームが同じで、データレイヤーには統合業務データストア「Common Data Service」があり、「データを幅広く収集・活用してインテリジェントなビジネスアプリケーションとしてビジネスに役立てていく仕組みも揃っている」(吉島取締役)のが強みだ。
ただし、Dynamics 365 BCの認知度向上とパートナー網の構築は大きな課題となりそうだ。吉島取締役は、SAPから奪取しようと目論む500ユーザーはもちろん、その子会社や国内中堅中小企業にも顧客基盤を広げていく方針で、モジュールを限定し、要件定義やカスタマイズなしの低コストな導入プランも用意する。日本マイクロソフトと連携し、マイクロソフト製品全体のエコシステムをフル活用してビジネス拡大に挑む方針だ。
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