戦場はクラウドからエッジ領域へと広がりつつある――
ITベンダーの競争環境に関して、このような見方が増えてきた。クラウド一辺倒ではIoTやAIの実業務への適用は難しく、業務の現場であるエッジ側でのシステム構築にも大きな市場があるという考え方だ。米国が主導するクラウド市場に対し、エッジなら日本も勝てるという意見すらあるが、それは本当だろうか。(取材・文/日高 彰)
ミニ・データセンターの需要高まる
「クラウドコンピューティングの力を活用することで、IoTやAIが現実のものになった」などと言われるようになって久しい。インターネットに接続されたセンサー類からデータを吸い上げて業務に役立てるIoTでは、データの集約や分析を行うのにクラウドが欠かせない。先進的なAI技術も、その多くはクラウド上のAPIを通じて提供されているほか、計算能力やデータ量に制約のないクラウドとAIの相性はよい。AWSやAzureのようなメガクラウドは、それらの上で利用できるIoT・AI関連の機能の豊富さを競っており、IoTやAIを導入するに当たり、何らかのクラウドを活用するのは当然のことと考えられている。
しかし、IoTやAIのアプリケーションを実際の業務に適用しようとすると、クラウドだけではうまくいかないことも次第に明らかになりつつある。PoCの規模では問題にならなかったデータの取り扱いコストや安定性が、クラウド一辺倒では課題として顕在化することが少なくない。そこで、クラウドとは逆に、システム構成図の中ではエッジ(端)の部分にあたる工場、店舗、オフィスなど、IoTやAIを活用する現場でデータを処理する「エッジコンピューティング」の重要性が指摘されるシーンが増えてきた。センサーから吸い上げたデータに対し、エッジの部分で適切な処理を施してからクラウドに情報をアップロードする、あるいは、エッジ部分で可能な判断については、クラウドの応答を待つことなく業務の現場に反映することで、データの伝送や蓄積にかかるコストや、応答時間の短縮を実現できる。
調査会社IDC Japanは、製造オペレーション(工場)とコネクテッドカーの2領域に関して、エッジ処理のための小型データセンター数を調査しており、国内では2017年末時点の1037カ所から、21年末には約4倍となる4354カ所へ増加するとの予測を発表した。サーバーやネットワークなどのITインフラ構築を主力とするベンダーの間でも、「工場のスマート化のため、生産ラインのすぐ横に『ミニ・データセンター』を作ってくれ」といった案件を受注するケースが増えてきた、という声を聞くことは多い。IT需要の、クラウド側からエッジ側へのシフトが始まっている。
エッジなしでは「安定しない」
エッジコンピューティングが求められる理由のうち、最大のものは通信コストだ。現場に取り付けられたセンサーは、業務を継続する限りデータを吐き出し続ける。分析アプリケーションがクラウド側で動作するシステム構成だったとしても、センサーが生成したすべてのデータをクラウドへアップロードしようとすると、WANの帯域やネットワーク機器のリソースを著しく消費する。動画など大容量のデータを扱う場合は理解しやすいが、データ量そのものは小さいテキストベースのログであっても、センサーが増えてくるとネットワーク機器に負担がかかり、データを正しく蓄積することができなくなることがあるという。
IoTにおけるエッジ部分のインフラ構築に携わるエンジニアに話を聞くと、「センサーからクラウドにデータを直接上げようとすると『安定しない』」といった表現がしばしば聞かれる。これは、単にシステムのパフォーマンスが低下するだけでなく、データの取りこぼしや、本来時系列に並んでいなければならないデータの順序が乱れるといった現象の発生を意味する。こうなると、製造現場で起きた問題の原因と結果を結びつけることができなくなり、IoT導入の意味をなさなくなる。
また、昨今のIoTの傾向として、産業用に設計された専用のセンサーを用いるのではなく、比較的安価に手に入るセンサーを“ばらまく”ように設置し、多数のデータから生産性向上や設備保守に資する洞察を得ようとするソリューションが増えている。安価なセンサー類には通信品質が高くないものも多いので、クラウドとセンサーの間にエッジサーバーを挟むことで、それがバッファーのように機能し、システムの安定性やデータの精度を向上させられるという。
一般のオフィスとは異なる、工場や店舗に特有のネットワーク環境も、エッジサーバーが求められる理由の一つとなっている。こうした事業拠点のネットワークは、設備の制御やPOSレジなど特定目的のために設けられており、インターネットへの接続を前提としていないことが少なくない。このような環境では、クラウドから独立した基盤の上でデータを処理する必要がある。また、セキュリティーが担保されないIoTデバイスを既存のネットワークにはつなぎたくない、あるいはそもそも現場にネットワークが敷設されていない環境で、携帯電話キャリアのモバイルネットワークが用いられるケースも多いが、設置場所によっては通信が安定しないことがある。遅延の吸収や、回線断時のデータの保全のため、エッジサーバーが必要になる。
そのほか、プライバシーやセキュリティーに関するポリシー上、データをクラウド上にそのまま保存することができない場合に、エッジ側でデータを加工し、匿名化したうえで最低限の情報のみクラウドへアップロードするという構成も、エッジサーバーの典型的な用途となっている。
ただ、IoT・AIの分野では、クラウドから完全に独立して動作するソリューションは少なく、データの分析結果を可視化するダッシュボードや、AIエンジンの精度を高めるための学習などで、クラウドの利用を前提としているものが主流だ。このため、エッジコンピューティングはクラウドと対立する概念ではなく、むしろクラウドを現実的に活用するための最適化手段とみるべきだろう。エッジコンピューティングのリソースはユーザーのオンプレミスに設置されるが、「クラウドかオンプレミスか」という二元論とは議論の軸が異なる。
「エッジ」の概念は相対的なもの
ここまで説明したような、センサーとクラウドの間に中間的なデータ処理機能を持たせる構成は、エッジコンピューティングという言葉が盛んに聞かれるようになる以前に、14年ごろから米シスコシステムズが「フォグコンピューティング」の名称で提唱している。クラウドコンピューティングの概念を拡張し、クラウド(雲)からよりエッジに近い部分をフォグ(霧)に見立てたもので、クラウドへの集中から、フォグへの分散を指向している。
ただ、実際にはこれらの用語が厳密に区別されることは少なく、クラウドの外側を総じてエッジとする見方もあれば、本社のIT部門が管理するデータセンターに対し、拠点のサーバーラックに格納されるリソースを指してエッジと呼ぶことも、あるいは前述のように現場に設置した機器自体をエッジと呼ぶこともある。エッジコンピューティングは相対的な概念であり、何を「エッジ」と位置付けるかは市場における各ベンダーのポジションが色濃く反映される部分だが、いずれにしてもIoTやAIのソリューションは、現実には一極集中型のアーキテクチャーでは機能しないことが多く、むしろ分散型を指向する段階に入っている。
ITの歴史は集中と分散の繰り返しだが、エッジコンピューティングもまさにその文脈で用いられている用語と言えるだろう。
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