ここ数年来続いている人工知能(AI)ブーム。「AI」という言葉はすでに、世間一般にまで広く知れ渡っている。ブームをけん引するIT業界に目を向けるとあらゆる製品やサービスの中でAI技術が組み込まれているようだが、傍らからはどのようにAIが動いているのか分かりづらい。実際にAIは製品の中でどのように活用されているのか。自社サービスにAIを活用しているSaaSベンダーへの取材から、その姿をひも解く。(取材・文/谷川耕一)
AIをCRMに最適化
基礎研究から徹底するセールスフォース
EinsteinはCRMのアシスタント 音声入力にも対応
セールスフォース・ドットコムは、プラットフォーム製品にAI「Einstein」を組み込んで提供している。一般的にAIは特定の用途に特化したものと汎用的な分野で活用できるものがあるとされるが、プロダクトマーケティングシニアディレクターのケン・ワカマツ氏は、「EinsteinはあくまでもCRMに特化したAI」であると言う。
Salesforceには、取引先、リード、商談を中心としたあらゆる情報が蓄積されている。同社はそのデータを用いてモデルを作り、AI機能を実現している。Einsteinは、タスクを自動化したり、次にとるべき行動をリコメンドしたりする。ワカマツ氏はEinsteinの役割りについて「CRMのアシスタントを目指している」と説明する。
Einsteinが提供する機能の中で「Einstein Discovery」は、Salesforceに蓄積されたデータに加えて外部データも取り込み、データサイエンティストなしで分析や予測などを行う。高度なデータ解析や統計モデルを構築するスキルのないビジネスユーザーでも利用することが可能だ。
また、「Einstein予測ビルダー」では、Salesforceのデータを利用し、Salesforceのあらゆる項目で予測を行う。これもユーザーはモデルやアルゴリズムを考える必要がなく、数クリックの操作で予測を得て、次にとるべきアクションの判断に利用できる。ほかにも、商品などを識別する画像認識機能の「Einstein Vision」を備えている。
2018年9月に開催されたセールスフォースの年次イベント「Dreamforce」では、Einsteinの新機能「Einstein Voice」が大きく取り上げられた。Salesforceでの音声認識部分は、アマゾンの「Alexa」やアップルの「Siri」などのパートナーの技術を利用。Einstein Voiceでは、音声認識でテキスト化された会話データを活用する。
例えば、顧客を訪問した営業担当者が、その報告を「Sales Cloud」に口頭で入力する。その際に日時や企業名、担当者名、商談金額などを会話文から自動で抽出し、Einstein VoiceがCRMの適切な項目に自動で振り分けて入力するのだ。人名はCRMの顧客リストの内容を学習することで正確に認識される。これは会話データの意味や文脈をEinsteinが理解して初めて実現できるものだ。
顧客との関係性を理解する上では、カレンダーの予定や電子メールのやり取りも利用。これらは非構造化データの集まりであり、深層学習機能なども利用して高度な予測を行う。「例えば役職が部長以上の人と、こうした内容のメールのやり取りが発生すると、その会社との商談が成立する可能性が高まる、などと予測する」とワカマツ氏。「今後は、Einstein VoiceがCRMの新しいインターフェースになるだろう」とも予測している。
AI関連技術を積極的に取り入れ 自社研究チームで磨きをかける
セールスフォースは、RelateIQ、MinHash、Apache PredictionIO、MetaMind、BeyondCoreといった実績のあるAI技術を買収により手に入れている。その一方で研究組織「Salesforce Research」を置き、基礎的なAI研究も行っている。多くのITベンダーは既存のオープンソースのフレームワークなどを利用してAI機能を実現しているが、セールスフォースはなぜ社内にAIの研究組織まで持つのだろうか。
その理由についてワカマツ氏は、「オープンソース技術などは、ある日どこかに買収され自由に使えなくなるかもしれない。また、重要なデータは外部に出したくない」と説明する。さらに、自社で基礎から研究することにより、「CRMに特化した形のAIが作りやすくなる」とも話す。
セールスフォース・ドットコム
プロダクトマーケティング
シニアディレクター
ケン・ワカマツ氏
チーフサイエンティストとしてSalesforce Researchをリードするリチャード・ソーチャー氏は、AIの研究組織を研究者が研究成果を論文などで発表できる職場にすることを重視している。これにより研究者は今までやってきた研究を継続でき、モチベーションを高めてより良いAI技術を生み出すことができるとの考えからだ。これが引いては、他社への優位性にもなるとしている。その研究の成果を用いて、開発部隊がCRMに特化したAI機能に作り上げる。
このようにEinsteinはCRMに特化しており、「IBM Watson」などの汎用的なAIとは異なる。一方で、セールスフォースはIBMとも協業している。「Einsteinでは例えば株価の予測はできない。それはWatsonで外部データを用いて実現し、得られたインサイトをSalesforceで利用する。EinsteinとWatsonとの連携は、すでにいくつかの事例が出ている」とワカマツ氏は話す。
UIも工夫、AIを会計業務のパートナーに
必要なAI機能を自社開発するfreee
入力や監査でAIを活用 アルゴリズムは自社で開発
クラウド会計ソフトを提供するfreeeは、人の作業の中で、推測が発生するところでAIを利用している。「例えば経理担当者が明細から仕訳を推測するところを、AIで自動化する」と、freeeの執行役員イノベーション開発本部長の鈴木一也氏は語る。
「クラウド会計ソフト freee」には、AI技術を活用している機能として、レシート類を取り込んで記帳する「ファイルボックス」が搭載されている。これはレシート画像を取り込んで認識処理を行い、得られたデータから勘定科目や品目を推測するというもの。また、もう一つのAI機能に「AI月次監査」がある。これは仕訳修正を行う場合に、ほかにもチェックすべき修正処理を推測するというもの。freeeは、こうしたAI機能の実装のために、内部のアルゴリズムなどは基本的に自社開発している。既存のライブラリーを活用することはあるが、外部のAI機能をAPIで呼び出し利用するようなことない。
freeeの執行役員イノベーション開発本部長の鈴木一也氏(右)と
プロダクト戦略本部AI labの田中浩之氏
自社で開発する理由は、「自分たちがやりたいことに合致するものがあまり世の中にない。また、『AI機能をどうやって活用しようか』ではなく、『この機能を実現するためにはどうするか』というアプローチで開発している」と、プロダクト戦略本部AI labの田中浩之氏は話す。
自社開発が必要となるような事情もある。例えば、画像認識技術はすでに多くの実績がある。だが、「文字は認識できても、レシートの内容を理解できるものはなかった」(田中氏)。そのため、自分たちで開発することになったのだ。
freeeは、高度な深層学習にこだわっていない。「シンプルな方法でメリットが出せるのであれば、それに越したことはない」と田中氏。freeeのアプローチでは、まず目的に対していくつかの手法で当たりをつけて、それらを試す。出てきた結果や振る舞いを見て手法を決める。「例えば、分かりやすいカテゴリデータの推測であれば、決定木の手法などを使う」。一方で、データ量が増えており、その際の予測精度を上げるために深層学習を試すこともあるという。
顧客からは、「深層学習の推測ではなぜそのような答えが導き出されたのか、説明が分からないと気持ちが悪い」との声もある。これに配慮するには人の言葉で説明できる必要もあるが、それは簡単ではない。むしろ説明しなくても「気持ち悪くない」ような、サービスの使い勝手が必要と考えている。そのためには、「ユーザーエクスペリエンスが重要になる」と鈴木氏はいう。推測結果を自動で適用するのではなく、ユーザーがルールを定め自動で適用するかどうかをカスタマイズできるようにするのも、その取り組みの一つだ。
「深層学習の結果、こういう推測もあるということを提示し、試してみますかと促す。これで人間の判断をサポートする。そのようなユーザーエクスペリエンスにすることで、AIをパートナーにする工夫をしている」と鈴木氏は語る。
AIの学習はリアルタイム性を重視 学習の成果は翌日に反映
もう一つ、freeeがAIに関して重視しているのがリアルタイム性だ。ユーザーデータを学習して推測する際に、学習に1週間もかかるようでは機能として適切ではない。「会計ソフトは毎日のように使うもの。昨日のデータを学習し、翌日にはそれを反映したい。それが行える学習タイミングでなければならない」と田中氏は語る。
そしてfreeeは、ユーザーのデータの扱いには細心の注意を払っているので、ユーザーのデータの中身を見ることはもちろんできない。その上で、ユーザーが会計ソフトを使った結果の振る舞いを、機械学習に利用している。
事前にAI機能などを使ってもらうための、クローズドなユーザーテストは行っている。例えば、AI月次監査という税理士向けの機能では、特定の税理士ユーザーに使ってもらい、フィードバックを受け推測機能を最適化している。
また、ファイルボックス機能の実現に際しては、「レシートのフォーマットはさまざまな上、請求書なども読み込めるようにしたため、大量のデータを学習する必要があった」と鈴木氏は振り返る。ファイルボックスはまだ発展段階の機能ではあるが、「今はかなりいいところまできている」と自信をみせる。
「AIの活用は、ベテランと新人のやり取りと似ている。最初はベテランがフォローしながら少しずつ新人に仕事を任せる。信用できるようになれば、多くのことを新人に任せられる」と田中氏。AIで業務のやり方をいきなり大きく変えるのではなく、なるべく今までの仕事のフローを崩さないようにすることも重要だという。
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